黙示録はイエスの啓示

*霊感の言葉*

黙示録 6:17
「御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。

黙示録7章 144,000

黙示録13:4
「また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、『だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか』」。

黙示録14章 144,000

大争闘下430
「み座の前の、水晶のように透きとおった海、あの、火のまじったガラスの海―神の栄光でまばゆく輝いているところ―の上に、『獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が』集まっている。シオンの山の小羊とともに、人々の間から贖われた彼ら、すなわち、14万4千が、『神の立琴を手にして』立つのである。また、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような、『琴をひく人が立琴をひく音』のようなものが聞こえる。そして、彼らは、み座の前で新しい歌をうたう。この歌は、14万4千以外のものは、だれも学ぶことができない。それは、モーセと小羊の歌、すなわち、救いの歌である。…なぜなら、それは彼らの体験―他のどの群れもしたことのない体験―の歌だからである。『小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。』彼らは、地上から、生きている者の間から、天に移された者たちで、『神と小羊とにささげられる初穂』とみなされる(黙示録15:2、3、14:1―5)。『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって』、国が始まって以来かつてなかったほどの悩みの時を通ってきた。彼らは、ヤコブの悩みの時の苦しみに耐えた。彼らは、神の最後の刑罰がくだる中を、仲保者なしで立った」。

実物教訓47
自己中心の生活には、成長もなければ、実を結ぶこともない。もし、キリストを自分の救い主として信じたならば、自分を忘れて、他を助けようと努力するはずである。わたしたちは、キリストの愛と憐れみについて語り、負わせられるすべての義務を果たし、心には、救霊の責任を感じて、失われた者を救うために、力の限りを尽くさなければならないのである。……『実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである。』キリストは、ご自分の教会の中に、ご自身をあらわそうと熱望しておられる。キリストの品性が完全にキリストの民の中に再現された時に、彼らをご自分の所に迎えるために、主はこられるのである」。