贖いの目的

レビ16:30、イザヤ43:25
贖いの計画は、人類の救済より、もっと広く深い目的を持っていた。人類を救うためだけではなく、宇宙の前に神の律法、ご品性を擁護するためであった。
【礼拝説教内容】    題:「贖いの目的」  話:当山悦子

去年、2014年の第2期に私達は、神様の律法についての学びをさせて頂きました。律法はこの地球だけでなく、全宇宙の統治の基であるということ、そして律法は、神様のご品性をあらわしているということ、神様のご品性を一言でいうと、なんですか?・・・愛です。二言で言うと、義とあわれみ。

この地球が創られる前に天でクーデターが起きました。クーデターの争点は、この神様の律法であったのです。クーデターの首謀者の言い分は、「律法は不完全だ、これは変更しなければならない。被造物の自由や幸せの為ではない。神は被造物に対し、律法を守るように無理に強要しているのだ。こんな律法、守ることが出来ない。義とあわれみは、両立しない」。これらが、クーデターの首謀者の言い分であったのです。首謀者ルシファーの巧みな、巧みな欺瞞に天の三分の一の天使たちが騙され、首謀者に同調したのです。結果、首謀者ルシファーと三分の一の天使たちは、この地に落とされました。その直後に人間が創られたというのです。

「こののち天父は、人間をつくって地上に住まわせる計画をすぐ実行することについて、み子に相談なさった」。(生き残る人々30ページ)

「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造」ろうと(創世記1:26)、被造物の中で人間だけが神様に見せてつくられた傑作中の傑作なのです。神様のご栄光のために、御子によって御子のために創られたのです。神様は、人間を通して、神様のご品性が義とあわれみであること、律法はまもることができるということ、サタンの主張が誤りであることを証明させる。これが神様が人間をお造りになった目的であり、神様のご計画であったのです。ところがその人間は、失敗したのです。人祖アダムは、サタンの欺瞞に屈してしまったのです。

一人の人の罪によって、罪がこの世に入ってきたのですが、しかしそれでも神様のご計画、御目的は、変えられなかったのです。今も変えられていなければ、これからも変えられないのです。

神様は、アブラハムと契約を結んで律法の保管者として一つの民族をお召しになりました。しかし、その民も異邦人との結婚によって偶像礼拝に陥ったのです。

イスラエルも失敗したのです。旧約時代、個人的に神様に忠誠を尽くし、律法を擁護した使徒が各時代わずかばかりにはいたのです。しかしひとつの共同体、一つの民としては失敗したのです。

時が満ちるに及んで神様は、御子を女から生まれさせてくださいました。なぜイエス様がこの地上においでになったのか、それは、罪に落ちた人類を救うためであったということは、クリスチャンであれば誰もが知っています。しかし、イエス様がこの地上においでになったのは、人間を救うためだけではなかったのです。もう一つの目的がおありだったのです。さーその目的とはなんだったのでしょうか。サタンの主張が誤りであることを証明するためであったのです。

次の御言葉をご覧ください。

 「キリストが地上に来られたのは、人間を救うためだけではなかった。この小さな世界の住民が、神の律法に対して当然払わなければならない尊敬を払うようになるためだけではなかった。それは、宇宙の前で、神の性質を擁護するためであった」。(人類のあけぼの上61)

 「キリストはサタンの主張が誤りであることを証明するためにおいでになった。」(各時代の希望上121)

受肉、天の宮廷を後にして、この地上に赤子としておいでになった。これには、天使たちも、他世界の住民たちも驚嘆したというのです。サタンですら、まさか、あのキリストがここ迄へりくだられるとはと驚いたというのです。まさに、大きな愛、大きな自己犠牲の現れでした。ご生涯、食するひまもうち忘れて、しいたげられし者を訪ね、病人をおいやしになり、目の見えない人の目をお開きになり、口の聞けない人の舌をほどいておやりにない、足の不自由な人の足をおいやしになり、ハンセン病の人を清めておいやし下さった。そして、福音を説いてまわられた。実にご生涯の間中、律法に完全にお従いになったのです。

十字架、十字架の上で、神様の義とあわれみが交差したのです。受肉、ご生涯、十字架を通して、イエス様は、神様のご品性が義とあわれみであること、律法は守ることが出来るということ、サタンの主張が誤りであることを完全に証明されたのです。そして、イエス様の子の一生は、我々もそれができることを証明しているというのです。

次の御言葉ご覧ください。

 「イエスの一生は、われわれもまた神の律法に従うことができることを証明している」。(各時代の希望上9)

ところがサタンは、納得しなかったのです。「あなたは、神の子だからそれが出来たんだ。しかし、人間は出来ない。この地上のどこに、神の律法に従えている人がいるか。結局神は、被造物のできない事を被造物に無理に強要しているにすぎないんだ」と、このように主張してきたのです。

天で始まった大争闘、戦いの場は、この地上に移され、しかもその戦いは、今も続いているのです。イエス様にとってこのサタンの主張が誤りであると証明する民が出現しない限り、サタンとの大争闘に終止符を打つことが出来ないのです。ですから、イエス様にとって、どうしてもこの民の出現が必要なのです。

そこで神様は、19世紀の半ばに、預言によって再臨運動を起こされ、セブンスデー・アドベンチスト教会を生まれさせてくださったのです。この教会を通して、ご自分の目的を遂行しようとしておられるのです。つまり、この教会を通して、神様のご品性が義とあわれみであること、律法は守ることが出来るということ、サタンの主張が誤りであることを証明させる。これが、神様のご計画なのです。

だから、神様が人間をお造りになった目的と、再臨信仰、セブンスデー・アドベンチスト教会を神様が生まれさせてくださった目的は同じなのです。そのために、神様は、この教会に三天使の使命をお与えになり、天の聖所のメッセージをお与えくださっているのです。この地上の聖所の外庭で、小羊がほふられました。あれは、キリストの十字架を象徴していたのです。そこで終わっていませんよね。その後、祭司がその小羊の血を持って聖所の中に入り、聖所のとばりにその血を注いで罪を聖所に移したのです。そのようなことが毎日行われていました。

そして一年に一度、贖いの日という日がありました。ユダヤ歴の7月10日です。その日には大祭司が至聖所の中に入っていき、聖所を清める儀式が行われたのです。一年間聖所に運び込まれてきた罪が、その日にそこから持ち出されるのです。

持ち出した罪を今度は、大祭司が負って聖所を出てくるのです。それから大祭司は、アザゼルの山羊の頭に両手を置いて、イスラエルのもろもろの悪、もろもろのとが、つまり、もろもろの罪を告白し罪をこのアザゼルの山羊に移したのです。そしてこの山羊は、定められた人によって引っ張って行かれ、人里離れた荒野に追いやられたのです。これが、一年に一度、贖いの日に行われた聖所を清める儀式であったのです。

ここで注目すべき点は、その日のこの聖所だけが清められたのではないということです。民も同時に清められたのです。

 「この日にあなたがたのため、あなたがたを清めるために、あがないがなされ、あなたがたは主の前に、もろもろの罪が清められるからである」。(レビ記16:30)

このレビ記16:30の御言葉を皆さんとご一緒にお読みしたいと思います。

「この日にあなたがたのため、あなたがたを清めるために、あがないがなされ、あなたがたは主の前に、もろもろの罪が清められるからである」。(レビ記16:30)

この地上の聖所の儀式は、天の聖所におけるキリストのお働きを私たちに教え示すものなのです。イエス様は、十字架の上で流された、ご自身の血を携えて天に昇って行かれ、天の聖所の第一の部屋にお入りになったのです。

そして1844年10月22日に、ユダヤ歴の7月10日は、太陽暦では、10月22日になるのです。そこまでも預言は合致して、その日にイエス様は大祭司として天の至聖所にお入りになったのです。そこにおいて「最後の贖い」、「特別な贖い」、「特別な清め」の御業をお始めになったのです。聖所を清め、民をつくりあげるためなのです。どんな民ですか?清められた民です。

 「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである」。(エペソ5:27)

次の御言葉をご覧ください。大争闘下222ページです。

「天の聖所における、人類のためのキリストのとりなしは、キリストの十字架上の死と同様に、救いの計画にとって欠くことのできないものである。キリストは、ご自分の死によって開始された働きを、復活後、天において完成するために昇天されたのである。われわれは、信仰によって、「わたしたちのためにさきがけとなって、はいられた」幕の内に入らなければならない(ヘブル6:20)。そこには、カルバリーの十字架からの光が反映している。そこにおいて、われわれは、贖罪の奥義について、もっとはっきりした理解を持つことができる」。(大争闘下222)

イエス様は、先がけとなって幕の内に、つまり至聖所に入られたとあります。先がけというのは、後からついて入ってくる人たちが、入るということです。だから、神様は、私たちに信仰によって天の至聖所に入るようにとおっしゃっているのです。信仰によって天の至聖所に入るということは、至聖所におけるキリストの立場と働きについて、知的に霊的に理解するということなのです。

このキリストの贖罪の犠牲と全能者の仲保の働きという真理は、サタンが非常に憎んでいるというのです。最も憎むのです。なぜなら、この真理によって民が清められて、この清められた民を通して、全宇宙の前に自分の主張が誤りであるということが証明されるということをサタンは知っているからです。サタンは世界に病院や学校ができてもびくともしないのです。十字架に付けた人の力を知っていたからです。しかし、神の民が天の至聖所に心を向け、この真理について学び始めるときにサタンはふるえおののくというのです。だからサタンは、あらゆる策略を用いて、神の民にこの真理について考えさせないようにしているというのです。考えることさえさせなかったら、まず理解しない。そしたら、その魂は、自分の手中に収まることをサタンは知っているからです。

次の御言葉をご覧ください。

 「サタンは、数えきれないほど多くの策略を考え出してわれわれの心を捕え、われわれが最もよく知っていなければならない働きそのものについて、われわれに考えさせまいとしている。大欺瞞者サタンは、贖罪の犠牲と全能の仲保者を明らかにする大真理を憎んでいる。イエスと彼の真理から人々の心をそらすことに、万事がかかっていることを、彼は知っているのである」。(大争闘下221)

この真理に万事がかかっているというのです。「万事」ってなんですか?すべてです。すべてのすべてです。私達、個人個人の救い、罪が除去されること、後の雨、神の印、キリストの完全な義の衣が着せられること、つまり、品性の完成、福音伝道、世界伝道の完結、これらすべてが、この真理にかかっているというのです。

今朝の説教の題は、「贖いの目的」という題にさせて頂きました。贖いの目的とは、なんでしょうか?教育というふみの5ページに「人を創造当初の完全な姿にもど」すことであるとあるのです。つまり、キリストの贖罪の犠牲と全能者の仲保の働きによって、人はアダムが罪を犯す前の状態に回復されるというのです。

ところが、今は、教会でそのようなことを話すと、人々は、「いやー、いまさら、創造当初の状態に回復されるなんてあり得ない。いや、いや、全くあり得ない。この地上で完全になるなんて、あり得ない」とそのように思ったり、また、実際、そのような会話が聞こえるのです。

確かに私達、自分を見たら、不可能ですよ。しかし、人にはできないが、神様にはできない事はないのです。

信仰による義認とは、「人に出来ないことを、神が人に代わってなさる神の働きである」とあるのです。

アブラハムの例を考えてみましょう。アブラハム100才、妻サラ90才。もう月のものもなくなっていました。それなのに、神様は、今からこの、この二人に子供が生まれるとおっしゃったのです。人間的には、全く不可能な事でしたよ。それにもかかわらず、アブラハムは、望み得ないのに、なお、望みつつ信じたのです。イサクが与えられました。

乙女マリヤは、男の子が生まれるという御使いのみつげを受けた時に、人間的にも、医学的にも全く不可能なことでしたよ。それでもマリヤは、お言葉通り、この身になりますようにという信仰の表明をしたのです。

私たちも、人間的には、全く不可能なことですが、しかし、イエス様が、私たちの内にそれをしてくださるとおっしゃるのであれば、お言葉通り、この身になりますようにという、信仰の表明をすると共に、望み得ないのになお、望みつつ、信じる信仰を祈り求めたいと思います。

イエス様は、贖罪の犠牲と全能者の仲保の働きを通して、悔い改めと信仰によってイエス様とつながって来た者の罪を全く除去し、後の雨を与え、神の印を押し、キリストの完全な義の衣を着せてくださり、その人たちを通して、全宇宙の前に、神様のご品性が、義とあわれみであること、律法は、守ることが出来るということ、サタンの主張が誤りであることを証させてくださるのです。

イエス様は、イエス様ご自身のために、私たちの内にそれをなしてくださるとおっしゃるのです。

次の御言葉をご覧ください。

 「わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない」。(イザヤ書43:25)

その時、イエス様は、「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐が」いると、(黙示録14:12)全宇宙の前に宣言なさり、サタンへの勝利宣言をなさるのです。

あのアザゼルの山羊が定められた人によって、引っ張って行かれたように、この人たちによって、サタンが封じ込められるのです。

私たちは、自分が天国に救われたいという自分中心の考えの信仰ではなくて、イエス様のために、是非それをなす者となさせて頂きたいという、イエス様中心の信仰に変えていただきたいと思うのです。

この終わりの時代に生かされ、節理によってセブンスデー・アドベンチストとなさせて頂きました。神様は、その為に私たち一人一人を必要としておられるというのです。同時に、神様は私たちに頼っておられるというのです。この神様の召しと選びを確かにして神様のご計画、御目的が我々を通して、なされるように、祈り求めていきたいと思います。

皆さんの上に、神様の祝福が豊かに与えられるよう、心よりお祈りいたします。