自己否定への挑戦

*霊感の言葉*

ルカ 9:23
「それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て(欽定訳:否定して)、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」。 (If any man will come after me, let him deny himself, and take up his cross daily, and follow me.)【deny: 否定する】

ルカ 14:26 ,27
「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない」。

ルカ6:3 
「しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何もあてにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである」。

キ実140
「この自己否定は、クリスチャン生活の出発において行なうばかりでなくて、天に向かって前進するごとに、新たにしなければならないものである。わたしたちの行なう善行は、すべて、わたしたちの外からの力によるものである。であるから、常にはげんで神を仰ぎ、たえず、心をくだいて罪を告白し、神のみ前に心をひくくする必要がある。わたしたちは、絶えず自己を捨て、キリストにたよることによってのみ、安全に歩くことができる」。

ミニストリーオブヒーリング438
「キリストから力を得るには自分の必要を認識しなければならない。自分自身をほんとうに知らなければならない。キリストは自分が罪びとであると知っている者でなければ救うことはできない。自分が全く無力であることを知り、自己信頼の念を放棄するときに初めて神の力にすがれるのである。

この自己放棄はクリスチャンの生涯の最初にだけするものではなく、天国に向かって一歩一歩進むたびに、新しくすべきことがらである。わたしたちのなしうる良いわざはすべて自分以外の力によるものである。だから、絶えず心から神を求め、神の前につねに熱心に罪を告白し、謙そんにならなければならない。危険がわたしたちを取り囲むときも、自己の弱さを感じ、信仰の手をのべて、力ある主の手にすがるときに初めて安全なのである」。

患下25
「初代教会は、おのれを忘れて惜しみなく施すことによって、大いなる喜びに満たされた。なぜなら信者たちは、自分たちの努力が、暗黒の中にいる人々に福音の言葉を伝えるのを助けていることを知っていたからである。彼らの物惜しみしない心は、彼らが神の恵みをむだに受けなかったことをあかししている。聖霊のきよめによる以外に、いったい何が、このような寛(ひろ)い心を生じさせることができようか。信者 と未信者の目の前において、これは恵みの奇跡であった。

霊的繁栄は、クリスチャンの物惜しみしない心と密接につながっている。キリストの弟子たちは、その生活の中にあがない主の恵み深さをあらわすという特権を喜ばなければならない。彼らは、主にささげるときに、彼らの宝が彼らに先だって天の宮廷に行くという保証が与えられる。人々は、自分たちの財産を確保したいと思っているであろうか。それならば、財産を十字架の傷あとのある手にゆだねるとよい」。