聖霊の約束

*霊感の言葉*

 使徒1:4,5
そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。

使徒1:8
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。

キ実302
ところが、聖霊の約束は、それが尊重されなければならないほどには、尊ばれていない。約束の成就も実現されなければならないほどに、実際に現われていない。福音の事業を力のないものにしているのは、この聖霊の欠乏である。学識、才能、弁舌など、先天的、後天的のいっさいの資質が備わっていても、神の霊の臨在がないならば、人の心に触れることも、罪人をキリストに導くこともできない。その反面、どんなに貧弱で無知な弟子であっても、キリストと結合し、聖霊のたまものを所有しているならば、必ず人びとの心に触れる能力をもつことができる。神は彼らを用いて、宇宙間の最高の感化を及ぼす器となさるのである。聖霊の約束は年齢や人種に限られたものではない。聖霊の聖なる感化力は世の終わりまで神のしも べたちと共にあるとキリストは述べられた。ペンテコステの日から現代に至るまで、助け主は、主とその奉仕におのれを全くささげている者すべてにつかわされてきた。― 使徒の働き・40ページ

地上における神のみわざが終わろうとしているこの終わりの時代に、聖霊の導きのもとに献身した 信徒がささげる熱心な努力には、神の特別の恩寵のしるしが伴うのである。前の雨、後の雨のひゆとしてそれは、種まき時と収穫時に東部地方に降るのであるが、ヘブルの預言者たちは神の教会に非常に豊かに霊的めぐみが授けられることを預言した。使徒たちの時代における聖霊の降下は、前の雨または秋の雨の始まりであり、その結果はすばらしいものであった。聖霊の臨在は終わりの時代までまことの教会とともにあるのである。― 使徒の働き・54,55ページ

使徒時代における聖霊の降下は「秋の雨」で、その結果はすばらしいものであった。しかし春の雨はもっと豊かに注がれるはずである。この終わりの時代に住んでいる人々への約束は、何であろうか。「望みをいだく捕われ人よ、なんじら城に帰れ。われ今日もなお告げて言う、われ必ず倍して、なんじらにたもうべし」(ゼカリヤ九ノ一二・文語訳)。「あなたがたは春の雨の時に雨を主に請い求めよ。主はいなずまを造り大雨を人々に賜い、野の青草をおのおのに賜わる」(ゼカリヤ10:1)。― 教会へのあかし・第8巻・21ページ