聖霊とさばきと福音

ヨハネ16:8
「それが(御霊)きたら、さばきとについて、世の人の目を開くであろう。」

大争闘下218
調査審判罪をぬぐい去る働きは、主の再臨の前に完了しなければならない。死者は、書物に記録されたことによって裁かれるのであるから、彼らが調査されるその審判が終わるまでは、彼らの罪はぬぐい去られることはできない。….調査審判が終わると、キリストは来られる。そして、たずさえて来た 報いを、それぞれの人の行ないにしたがってお与えになるのである」。

大争闘下222
聖所と調査審判の問題は、神の民によってはっきりと理解されねばならない。すべての者は、自分たちの大いなる大祭司キリストの立場と働きについて、自分で知っている必要がある。そうしなければ、この時代にあって必要な信仰を働かせることも、神が彼らのために計画しておられる立場を占めることもできなくなる。ひとりびとりの魂は、救われるか、滅びるか、そのどちらかなのである。各自は、今、神に裁かれようとしている。各自は大いなる審判者と顔を合わせなければならない。とするならば、審判が始まり、かずかずの書物が開かれる厳粛な時のことを、ダニエルとともに、定められた日の終わりに立って、自分たちの分を受けねばならない厳粛な時のことを、たびたび瞑想することは、すべての者にとってどんなにか重要なことであろう」。

大争闘下216、217
「キリストは、ご自分の民のために、完全で十分な許しと 義認だけでなくて、彼らが、ご自分の栄光にあずかり、ともにみ座につくことを求められるのである。…

イエスは、彼らの罪の弁解はなさらないが、彼らの悔い改めと信仰を示して、彼らの許しを主張なさり、天父と天使たちの前で、ご自分の傷ついた両手をあげ、わたしは彼らの名を知っている、わたしは彼らを、わたしのたなごころに彫り刻んだ、と言われるのである。….

キリストは、忠実な人々に、ご自分の義の衣を着せて、父なる神の前に『しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会』として立たせてくださる(エペソ5:27)。彼らの名は、いのちの書に書きとめられる。…

こうして、新しい契約が完全に成就する。『わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない。』『主は言われる、その日その時には、イスラエルのとがを探しても見当らず、ユダの罪を探してもない』(エレミヤ書31:34;50: 20)」。