罪を犯さずに生きる

各時代の希望「第40章 湖上の一夜」E.G.WHITE

激しい嵐がしのびよってきていたのに、彼らはそのために備えができていなかった。その日は申し分のない天気だったので、それは突然な変化だった。疾風に襲われると、彼らは恐れた。彼らは不満も不信もいらだっている気持も忘れた。だれもが舟が沈まないように働いた。ベッサイダから、イエスにお会いすることになっていた地点までは、海上いくらもない距離で、普通の天候の時なら、その旅には数時間しかかからなかった。だがいま彼らは、目ざす地点からだんだん遠くへ流された。明け方の4時になるまで、彼らはほねおって舟をこいだ。それから彼らは疲れ果ててしまってもうだめだとあきらめた。嵐と暗黒の中で、海は彼ら自身の無力を教えたので、彼らは主がいてくださったらと熱望した。

イエスは彼らをお忘れになっていなかった。陸上で見守っておられるイエスは、恐怖にとりつかれたこの人たちが嵐と戦っているのをごらんになっていた。一瞬間も、イエスは、弟子たちを見失っておられなかった。イエスの目は大事な人たちをのせて嵐にもまれている舟を最も深い心配のうちに追っていた。なぜなら、この人たちは世の光となるのだった。母親がやさしい愛情をもって子供を見守るように、憐れみ深い主は弟子たちを見守っておられた。彼らが自分の心に打ち勝ち、きよくない野心を征服し、謙遜な気持で助けを祈った時、その助けが与えられた。

彼らがもうだめだと思った瞬間、かすかな光の中に彼らの方へ向かって海の上を近づいてくる一つのふしぎな姿が現われる。しかし彼らにはそれがイエスであることがわからない。自分たちを助けにこられたお方を、彼らは敵だと思う。彼らは恐怖に圧倒される。鉄のような筋肉でオールをにぎっていた手が離れる。舟は波のまにまに揺れ、全部の目はあわだつ海の白い波頭の上を歩いてくる人間の光景に釘づけにされる。

彼らはその姿を彼らの滅亡を予告する幻影と考え、恐ろしさのあまり叫び声をあげる。イエスは彼らのそばを通り過ぎられるかのように進んで行かれる。すると彼らは、それがイエスであることをみとめ、大声をあげて助けを懇願する。愛する主はふりかえられ、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」とのお声が彼らの恐怖を静める(マタイ14:27)。

彼らがこのすばらしい事実を信ずることができたとたんに、ペテロはうれしさのあまりわれを忘れた。彼はまだ信じられないかのように叫んだ。「『主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください』。イエスは、『おいでなさい』と言われた」(マタイ14:28、29)。

イエスをみつめながら、ペテロは安全に歩いて行く。だが自己満足のうちに舟の中の仲間たちの方をちらっとふりかえった時、彼の目はイエスからそれる。風は荒れ狂っている。波が高くうねってペテロと主との間にまっすぐやってくると、ペテロは恐れる。一瞬キリストの姿がペテロの視界からかくれると、彼の信仰は失われる。ペテロは沈み始める。しかし大波が死と語っている間に、ペテロは荒れ狂う波から目をあげてイエスを見つめ、「主よ、お助けください」と叫ぶ(マタイ14:30)。すぐにイエスは、ペテロのさし出した手をつかんで、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われる (マタイ14:31)。

ペテロは、主の手につかまりながら並んで歩いて、一緒に舟の中に入った。だがペテロはこんどはおとなしくだまっていた。彼は仲間たちに自慢する理由がなかった。不信と高慢のためにあぶなくいのちを失いかけたからである。不信と高慢のためにあぶなくいのちを失いかけたからである。イエスから目をそらした時、彼は足場を失い波のまん中に沈んだのだ。