神のさばきの福音

*霊感の言葉*

大下224 
「我々は今、大いなる贖罪の日に生存している。型としての儀式においては、大祭司イスラエルのためにあがないをしている間、すべてのものは、主の前に罪を悔い改め、心を低くすることによって魂を悩まさなければならなかった。もしそうしなければ、彼らは、民の中から絶たれるのであった。それと同様に、自分たちの名がいのちの書にとどめられることを願うものはみな、今、残り少ない恩恵期間のうちに、罪を悲しみ、真に悔い改めて、神の前に魂を悩ませなければならない。我々は心を深く忠実に探らなければならない。多くの自称キリスト者がいだいている軽薄な精神は捨て去らねばなりません」。

大下393
「そのように、悩みの時においても、神の民は、 恐怖と苦悩にさいなまれているとき、まだ告白していない罪を思い出すならば、彼らは圧倒されてしまうことであろう。絶望が彼らの信仰を断ち切り、彼らは神に救いを求める確信が持てなくなることであろう。しかし、彼ら は、自分たちが無価値なことを深く感じてはいるが、告白すべき罪を隠してはいない。彼らの罪は、前もってさばかれて、消し去られている。彼らは、罪を思い出すことができない」。

あ上422
 「キリストの血は、悔い改めた罪人を律法の宣告から解放したが、しかし、それは罪を消し去るものではなかった。罪は最終的な贖罪の時まで聖所の記録に残るのである。そのように象徴においても、罪祭の血は悔い改めた者から罪を取り除いたが、罪は贖罪の日まで聖所に残った。・・・このとき、真に悔い改めたすべての者の罪は、キリストの贖罪の血によって、天の書物から消される。こうして、聖所から罪の記録が除かれ、きよめられるのである。象徴においては、この大いなる贖罪のみわざ、つまり、罪を消し去ることは、贖罪の日のつとめによってあらわされた。すなわち、地上の聖所を 汚していた罪を除いてきよめることは、罪祭の血によってなしとげられた。真に悔い改めた者の罪が、ついに贖われて、天の記録から消されて、もはや思い出すことも心に浮かぶこともなくなるように、象徴では罪は荒野に追いやられ、会衆から永遠に切り離された」。