教会に侵入する異教 パート1

*霊感の言葉*

国上289
「彼(アハズ)は、『イスラエルの王たちの道に歩み、またもろもろのバアルのために鋳た像を造り、ベンヒンノムの谷で香をたき』、『また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって 、自分の子を火に焼いてささげ物とした』(歴代志下28:2、3、列王紀下16:3)」。

列王記上11:4-8
「ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。 これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。 このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。 そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。 彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた」。

国上32
 「ソロモンの歩いた道はその確かな報いをもたらした。彼が偶像礼拝者たちと交わって神から離反したことは、彼の滅亡であった。彼は神への忠誠を捨て去ったときに、自分自身を統御することができなくなった。彼の道徳的力はなくなった。彼の鋭敏な感覚はにぶり、彼の良心は麻痺した。その治世の初期において、大いなる知恵と同情をもって、無力な赤子をその不幸な母親に取りもどした彼が(列王紀上3:16―28参照)、はなはだしく堕落して、生きた子供を犠牲として献げる偶像の建立に同意するに至った。青年時代には分別と理解が与えられ、その力強い壮年時代には、「人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある」と霊感によって書いた彼が、後年、純潔から遠くかけ離れて、ケモシとアシタロテの礼拝に関連したみだらで忌まわしい儀式を支持するに至った」。

あ上398
 「神の性質をゆがんで考えたために、異邦民族は、神の恵みを得るには人身御供が必要だと信ずるようになった。そして、最も恐るべき残虐がいろいろな形の偶像礼拝のもとで行なわれてきた。その一つは、偶像の前で自分の子供たちに火の中をくぐらせる風習であった。子供たちのなかで、この試練から無傷で出てくることができたとき、民は自分たちの供え物が受け入れられたと信じた。このようにして出てきた者は、神々から特に恵まれた者とみなされて種々の恩典を与えられ、以後は大いに尊重され、どんな大きな犯罪を犯しても処罰されることはなかった。しかし、火の中をくぐるあいだにやけどをした者の運命は定まっていた。神々の怒りは、そのいけにえの生命を奪わなければしずまらないと信じられていた。したがって、その子は、犠牲としてささげられた。背信のはなはだしかった時代には、こうした憎むべきことが、ある程度イスラエル人のあいだにも行なわれていた」。

ホーム142
「世的な利益と金銭獲得への愛着― 親が子供たちを正しい環境におくように注意しない場合が多い。彼らは家を選ぶときに、道徳的な社会的なふんい気よりも、世的な利益について多く考えるために、子供たちは敬神の念を育て、正しい品性を形成するに不利な交わりを結ぶ。・・・・

子供をモロクの神にささげたカナン人を非難する両親がたよ、あなたがたは何をしているのであろうか。あなたがたはマンモンの神に非常に高価なものをささげている。そしてあなたがたの子供たちが愛されない好ましくない品性の持ち主に成長し、明らかな不敬の念、不信仰の傾向を示すと、あなたがたは自分が信じているといっている信仰が彼らを救うことができなかったことでその信仰を非難する。あなたがたは自分のまいた種すなわち世に対する利己的な愛と、恵みの富を軽くみなした結果を刈り取っているのである。あなたがたは家族の者を誘惑の場所に移した。あなたがたの栄光であり守護である神の契約の箱をあなたがたはたいせつなものとみなさなかった。だから主はあなたがたの子供を誘惑から救い出すために奇跡をなさらなかった」。

マタイ15:8,9
「この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる」。

あ上119
 「いわゆるキリスト教会の世界でも、多くの人々は聖書の明らかな教えから離れて、人間の推論や耳ざわりのよい作り話をもとにして教義をつくりあげている。そして、彼らは自分たちの塔が、天への道であると指さしている。罪人は死なない、神の律法には従わなくても救いは得られると教える雄弁家の言葉に、人々は賛嘆して耳を傾けている。もしキリストに従うと称する人々が神の標準を信じるならば、それは、彼らを一致させることであろう。しかし、人間の知恵が神の清い言葉以上に高められているかぎり、分裂と不和は起こる。今日の互いに相入れない信条や教派による混乱は、『バビロン』という言葉で実によく表わされている。この預言は、終末時代の世俗的諸教会にあてはまる(黙示録18:2参照)」。

大下345
 「幾千もの人々は、自然を神格化していながら、自然の神を否定している。形こそ違うが、偶像崇拝は、今日のキリスト教界にも、古代イスラエルのエリヤの時代にあったのと同じように存在している。自ら賢人と称する多くの人々、哲学者、詩人、政治家、ジャーナリストたちの神、洗練された上流社会、多くの大学、はては幾つか の神学校などの神も、フェニキヤの太陽神バアルとほとんど変わるところがない」。