成功の秘訣はどこに

1コリント 12:27
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」

ローマ12:3-5
「わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、 わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。」

クリスチャンの奉仕104
「神のみわざにおける成功の秘訣はわが民が一致して働くことにある。力を集中して活動しなければならない。キリストの体の各部は、神から与えられた才能に応じて、神のみわざにおける自分の立場を果たさねばならない。われわれは肩と肩を組み、心と心を合わせて障害と困難にぶつからねばならない。もしクリスチャンが一つの目的を達成するために一つの力なる聖霊のみちびきの下に一致して行動し一つとなって前進するならば、彼らは世界を動かすであろう。」

教育336
「聖書に教えられている協力について教訓を学ぶことは、子供たちにとっても親にとってもまた教師にとっても有益である。その多くの実例の中で注目に値するのは幕屋の建設で、これはまた品性を築く上にも実物教訓となっている。そのときすべての民すなわち『すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者』はみな力をあわせたのであった。エルサレムの石垣が帰還した捕虜たちによって貧窮と困難と危険の最中に再建され、あの大事業が『民が心をこめて働いた』ので、みごとに完成したことを読んでいただきたい。救い主が奇跡をもって群集に食をお与えになったとき弟子たちの果たした役割を考えていただきたい。食物はキリストのみ手の中にあってふえ、弟子たちがそのパンをもらって、待っている群集に与えたのであった。『わたしたちは、お互に肢体なのであるから』各自は『神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立て』なければならない。」

スタディバイブル新371
「ぶどうの木には多くの枝がある。すべての枝は異なっているが、それらは争うことがない。多様性のうちに一致がある。すべての枝は養分をひとつの源とから得ている。これがキリストに従う者たちの間にあるべき一致を表している。異なった職務につきながらも、彼らは皆、ただ一人の頭を持っている。同じ霊が異なったやり方で彼らを通して働く。賜物は様々であるが、調和の取れた行動がある。この章を研究しなさい。そこから、真にキリストに結合している人は、あたかも自分だけで完全であるかのようには決して行動しないことがわかるであろう。…教会の完全さは、各教会員が全く同じようになっていることによるのではない。神は、各自が自分に与えられた能力に従って、指示された自分の仕事をするためにその持ち場に立つよう、自分の適切な位置つくようにと召しておられる。」

キリストの実物教訓383
「学識があるとか、地位があるとか、または、人の数とか、才能の数とか、人間の意志の力とかに、成功の秘訣があるのではない。わたしたちは、自分の無力を感じて、キリストをめい想すべきである。そうするならば、すべての力の力であり、すべての思いの思いであるキリストの助けによって、喜んで従っていく人びとは、勝利から勝利へと進むのである。」

各時代の希望下148,149
「彼らの成功の秘訣は、主のみ名によって力と恵みとを求めることにあることを主は説明された。主は、彼らのために願いをするために父の前に出られるのであった。謙遜な嘆願者の祈りを、主は、その人に代って、ご自身の願いとしてささげられる。真心からの祈りはどれも天に聞かれる。それはなめらかなことばではないかも知れないが、その中に心がこもっているとき、イエスが奉仕しておられる聖所へのぼって行き、イエスはそれをぎごちないどもることばが一つもなく、ご自身の完全という香で美しくかぐわしいものとして、父にささげてくださるのである。」

【説教内容】

私たちの教会は、教理的な学びが多いです。しかし教理以外にも色々と必要な学びがあります。
その一つに、私達が信仰を働かせるということが中々出来ていない現状について学びたいと思います。

世の中での成功とクリスチャンの成功の違いは何ですか?
さらに、クリスチャンの成功とは何ですか?教会に人々がたくさんあつまることですか??
人数が増える事をわれわれは目的としていません。教会の真の目的は何でしょう?

それは、私達が砂漠におけるオアシスのような役割を、この世という砂漠に対して担っていなければならないという事、つまり逃れの場としての役割です。
そしてもう一つは、キリストこそは救い主であり、その福音を伝える事、神の裁きに備えさせる事です。それは終末時代の人達に、生きて主を迎える特権にあずかれる事を伝える事です。

それがこの教会の目的です。

教会の成功は、福音伝道すなわち人々が神の民として備えられることなのです。
教会は、これが組織的な動きになります。一人ではなされる事はありません。一人一人の力を合わせて、効果的な務めを成すことができます。

「神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように、しかし、すべてのことを適宜に、かつ秩序を正して行うがよい。」コリント人への第一の手紙 14:33, 40

神様は秩序正しく行われる方です。

「なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。」箴言 6:6 

ミツバチもありの仲間で、ミツバチの生活がわかればありも分かります。

ミツバチでよく目にすることが出来るのは、働き蜂です。ミツバチは三種類の蜂がいます。
雌である働き蜂、女王蜂、それと雄蜂です。

それぞれの役割がきっちり決まっています。まず、働き蜂です。外に出て蜜や花粉を集めます。巣に戻れば巣の掃除をします。女王蜂は卵を産むだけです。自分で食べることもしませんので働き蜂が餌を与えます。雄蜂は女王蜂と交尾して子孫を残すだけです。

働き蜂の日齢(一日を一歳とする)による働き分担について

01日-03日巣房掃除

03日-15日育児

10日-20日造巣

20日〜      警備、門番

これは社会主義国の手本となっていたらしいです。それぞれの役割以外は全くする必要はないのです。

私も彼らの世話をしますが、中には生まれつき体の弱い蜂もいます。彼らは、役に立たないので外に出されて死にます。おそらく、ミツバチの世界には愛という原則は無いです。
弱い者を排除する事は手本にはなりません。

人間社会では福祉によって弱い人たちを守ります。それはすべての人に最低限の生活を保障するものです。これはミツバチにはないのです。しかし、秩序だって働くことはとても素晴らしいです。

「わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、 わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。」ローマ人への手紙 12:3-5 

パウロは私達を体の肢体にたとえています。教会は体であり、私たちはそれぞれの働きをするのです。

「務は種々あるが、主は同じである。 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。 すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。」コリント人への第一の手紙 12:5-11

個人個人は神様から賜物を与えられています。能力は種々あります。その理由は、全体の益となるためです。人々のためにそれを用いなければ意味がないのです。能力はみんな同じではないことがわかります。

「実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。 もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。 ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。 」コリント人への第一の手紙 12:14-20

ここに教訓があります。私は何々ではないから教会に属していないという意見は、つまり、あの人がいるから自分はやらない。という積極的に何もしない考えは、教会にとってマイナスになります。

「目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、 からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」コリント人への第一の手紙 12:21-27

教会にもう一つの問題があります。それぞれが違った働きで成り立っているのに、「あなたはいらない。」ということは決してあってはいけないのです。これは教会では大いにあり得ます。そうあってはならないのです。

これは自分を誇っているわけです。その人が自分は何でも出来ると思っているわけです。自分は他の人をカバーできると思い込んでいるわけです。だから、あなたはいらないと言って排除するのです。

神様は各個人その人の能力を尽くして、その分を果たす事を望まれます。

クリスチャンの奉仕 6ページ
「個体の働きをもって個人的な働きの代わりにしようとする傾向がどこにでも見られる。人間の知恵には、 団結し、一つに集結して大きな教会や機関を建設しようとする傾向がある。おおぜいの人が慈善事業を各種団体、機関にまかせ、自分は社会との接触を避けるため、心はだんだんと冷えてくる。そういう人は自己に没頭し、感受性を失い、神と人とに対する愛が絶えてしまう。キリストは従う者にそれぞれ働きを委任された。それ は代理人ではできない働きである。病人や貧しい人々への奉仕、迷った人に福音を伝える仕事は委員会や組織だった慈善事業団体にまかせておくべきではない。福音は個人的な責任、個人の努力、その人自身の犠牲を要求する。」

私たちは組織的に動きますが、それとは別に、個人個人に負わされている責任があるのです。どんなに小さなタラント(才能)でも、その人にしか出来ない働きがあるのです。だから、言い訳して働きを怠ってはならないのです。

私は中学時代にバレーボールをしていまして、私も人を排除する事をしてきました。部活をしていけば、その人に能力があるかどうかが見えてきます。能力がありながら練習をしない人たちがいました。頑張ればレギュラーになれる人たちでした。私はその人たちの怠惰が嫌いでした。どうして熱心に練習をしないのか。私はキャプテンとして、チームを強くしなければなりませんでした。しかし、彼らはチームにとっていらないと思うようになりました。

私は彼らに徐々に厳しく当たるようになりました。彼らはやめてしまい、自分は喜んでいました。しかし今、大人になって考えてみたら、なんとひどい事をしたのだろうか?と気づきました。

クリスチャンの奉仕104 ページ
「神のみわざにおける成功の秘訣はわが民が一致して働くことにある。カを集中して活動しなければならない。キリストの体の各部は、神から与えられた才能に応じて、神のみわざにおける自分の立場を果たさねばならない。われわれは肩と肩を組み、心と心を合わせて障害と困難にぶつからねばならない。もしクリスチャンが一つの目的を達成するために一つのカなる聖霊のみちびきの下に一致して行動し一つとなって前進するならば、彼らは世界を動かすであろう。」 

才能に応じて働かなければなりません。

今教会は世界を動かしていますか?そうでなければ一致していません。

これは聖霊による一致によってなされます。

教育 336ページ
 「聖書に教えられている協力について教訓を学ぶことは、子供たちにとっても親にとってもまた教師にとっても有益である。その多くの実例の中で注目に値するのは幕屋の建設で、これはまた品性を築く上にも実物教訓となっている。 そのときすべての民すなわち『すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者』はみな力をあわせたのであった。エルサレムの石垣が帰還した捕虜たちによっ て貧窮と困難と危険の最中に再建され、あの大事業 が『民が心をこめて働いた』ので、みごとに完成したことを読んでいただきたい 。救い主が奇跡をもって群集に食をお与えになったとき弟子たちの果たした役割を考えていただきたい。食物はキリストのみ手の中にあってふえ、弟子たちがそのパンをもらって、待っている群集に与えたのであった。『わたしたちは、お互に肢体なのであるから』各自は 『神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立て』なければならない。」

モーセの幕屋に持ち込まれた材料は、みんなが心を一つにして、もう持っていかなくても良いほど集められて完成しました。このように喜びのうちに幕屋が完成されました。

また、キリストの宣教で弟子たちが果たした役割もあります。彼らはキリストのパンを配ったのです。彼らの役割は、教会と同じです。聞いて学んだら、それを人々に分け与える事をやらなければこの働きをしていない事になります。

スタディバイブル新 371ページ
 「ぶどうの木には多くの枝がある。すべての枝は異なっているが、それらは争うことがない。多様性のうちに一致がある。すべての枝は養分をひとつの源から得ている。これがキリストに従う者たちの間にあるべき 一致を表している。異なった職務につきながらも、彼らは皆、ただ一人の頭を持っている。同じ霊が異なったやり方で彼らを通して働く。賜物は様々であるが、調和の取れた行動がある。この章を研究しなさい。そこから、真にキリストに結合している人は、あたかも自分だけで完全であるかの ようには決して行動しないことがわかるであろう。教会の完全さは、各教会員が全く同じようになっていることによるのではない。神は、各自が自分に与えられた能力に従って、指示された自分の仕事をするためにその持ち場に立つよう、自分の適切な位置につくようにと召しておられる。」 

みんなそれぞれのタラントはありますが、一つの源からいただかなければならないのです。我々の源は神様から来る聖霊によるのです。

また、能力がある人に全部任せてはいけないともあります。また能力がある人のようになろうとする必要もありません。各個人、その人にしか出来ない事を忠実に果たすことが本当の教会の姿です。

キリストの実物教訓 383ページ
「学識があるとか、地位があるとか、または、人の数とか、才能の数とか、人間の意志の力とかに、成功の秘訣があるのではない。わたしたちは、自分の無力を感じて、キリストをめい想すべきである。そうするならば、すべての力の力であり、すべての思いの思いであるキリストの助けによって、喜んで従っていく人びとは、勝利から勝利へと進むのである。」

各時代の希望下248,249ページ
「彼らの成功の秘訣は、主のみ名によってカと恵みとを求めることにあることを主は説明された。主は、彼らのために願いをするために父の前に出られるのであった。謙遜な嘆願書の祈りを、主は、その人に代って、ご 自身の願いとしてささげられる。真心からの祈りはどれも天に聞かれる。それはなめらかなことばではないかも知れないが、そ の中に心がこもっているとき、イエスが奉仕しておられる聖所へのぼって行き、イエスはそれをぎごちないどもることばが一つもなく、ご自身の完全という香で美しくかぐわしいものとして、父にささげてくださるのである。」 

私達がみんなの力を合わせれば、もっと大きな事ができます。祈って私にその力が与えられるようにする事が、神様が望んでおられる事です。自分が出来ないと思って逃げてはいけないのです。祈り求めないといけないのです。それが信仰です。

どんなに下手な言葉でも、その思いは父なる神様に届いているのです。そうやって心を込めて祈る時に力が与えられるのです。

ミニストリーオブヒーリング 123ページ
「学校教育に乏しく、社会的地位も低い人がキリストの力によって人の魂を神に導くのに非常な成功をあげることがある。その成功の秘訣は神に対する信頼である。立派な相談相手であり、力に満ちておられる神から日々教えを受けたのである。」

あまり教養のなさそうな人たちが実に神の力によって大きな働きをしています。

木漏れ日からの 一つの教訓です。

木漏れ日は木の葉っぱに太陽光線が遮られて、光と陰が地面に映って出来ます。これを例えるなら、太陽光線はキリストです。葉っぱの形状や木の形状が個性です。そして地面に映ったものが品性です。

実験すればわかるのですが、光源に遮る木の葉っぱを近づければ近づけるほど、光源と同じ形が地面に映ります。だから木漏れ日は丸い形なのです。もし光源が日食のように欠けた状態であれば、面白いことに地面にも欠けた状態の木漏れ日がたくさん出来るのです。これがキリストに近づくほど、キリストの形を品性にも映し出すクリスチャンの状態です。

しかし光源から離す、つまりキリストから離れれば、自分の個性の形しか地面に映らなくなります。人の個性は良い面と悪い面があります。我々は自分の個性を躊躇なく表してしまう傾向がありますので、一歩一歩キリストに近づかなければなりません。

クリスチャンの奉仕382ページ
「純粋の愛から出たものは何であろうと、たとえそれが人間の目から見て、小さなまずしい事であっても、完全に実を結ぶのである。なぜなら神は人の行なう量よりも、どれほどの愛をもって働くかということを重視されるからである。」

われわれは大したことできないと思っていても、その事で思い悩む必要はありません。どれほどの愛情を持って働くかによるのです。

キリストの実物教訓 318 ページ
「品性は力である。真実で無我の信心深い生活の無言のあかしは、どんな人をも感化しないではおかない力を持っている。わたしたちの生活の中に、キリストの 品性をあらわすことによって、わたしたちは、救霊の働きをキリストと共にするのである。わたしたちが、キリストと協力できるのはわたしたちの生活に、キリストの品性をあらわすことによってのみである。」

教会は信仰者の集まりですが、その割には御霊の実がならない現状があります。どうしてでしょうか?キリストの模範に従って私たちの行為が、何よりもキリストを愛していること、隣人を愛している事を示す時に、教会は世界を動かすのです。

成功の秘訣のまとめ 

①一致して働く

②神との協力

③ただ聖霊による一つの源を持つ

④自分の無力を感じて、キリストにより賴む

⑤主の名によって力と恵みを呼び求める

⑥神に対する信頼 

⑦純粋な愛

⑧キリストの品性を表す

 

セレクテッドメッセージ 102ページ
「私たちは信仰がなさすぎます。この民を神に対する信仰を持つように導くことができたら、どんなにいいでしょう。…私たちが他人の言葉を信じるのと全く同じように、神の言葉を信じればよいのです。神が言われたことは、全くその通りなので、心を静めてその約束に頼ればよいのです。神はみ言葉のうちにお語りになりました。そして、約束なさったすべてのことを実行してくださいます。不安になってはなりません。神に信頼なさい。神の言葉は真実です。天の父は信頼できると思って行動なさい。」

私たちは家族の言葉は信じます。例えば、17時に迎えに来ると言えばその時間に待ちます。そのように、神様の言葉を信じ切って、み約束がなされるのを信じ切って行動すれば良いのです。

各時代の大争闘下巻395〜396ページ
「今、少ししか信仰を働かせていない者は、サタンの欺瞞の力と良心を強制する法令の下に屈してしまう危険が多分にある。そして、たとい彼らが試練に耐え得ても、常に神に信頼する習慣を養ってこなかったために、 悩みの時には、さらに大きな苦難と苦悩に陥ることであろう。彼らは、自分たちが学ぶことを怠っていた信仰の教訓を、恐るべき失望のもとにあって学ばなければ ならなくなる。われわれは今、神の約束を試すことによって、神をよく知らなければならない 。」

これからある法令が立ちます。私たちの前に本当の苦難が訪れます。それは「日曜休業令」です。

安息日を守れなくする法令の前に信仰を持って立ち向かうためには、今のうちから神様に信頼する訓練が必要です。そうでなければ、われわれはこの法令に屈してしまいます。

ぜひ皆さん。信仰による一致によって教会の働きを前進させ、それぞれ神様と正しい信仰を築いていきましょう!