広島の奇跡

【広島の奇跡~原子爆弾より救われる~】

 ~アドベンチストワールド誌 2011年8月号
広島の奇跡(Das Wunder von Hiroshima….ドイツ語版より抜粋)~

1945年8月6日、世界で初めての原子爆弾が第2次世界大戦時に日本の港町広島に投下され、想像もつかない破壊をもたらし約20万人の命が亡くなった。
この恐怖の出来事の66年後に、私達は広島セブンスデー・アドベンチストについて驚くべき話を聞いた。全てのアドベンチストが原爆投下後、助かったというのである…。

古中あさ子は商売で成功した人の娘として1921年8月12日に生まれた。
彼女は大変知的で活動的な女性で学校卒業後、夜間学校の教師となった。32歳でその頃女性としては珍しい新聞記者となり、大学教授と結婚した。子供は無かったが大変幸福な結婚生活であった。

ところが50年代の初期 恋人があり離婚したいという夫の言葉に彼女の全人生が大きく揺れた。迷いと怒りに襲われ、日夜深い悲しみと夫に対する憎しみに明け暮れた。もはや誰をも信じることが出来ず深いうつ病に陥った。
彼女の人生で最悪の状態に陥った時に、アドベンチストの一人が教会にさそった。まもなく彼女は規則的に教会を訪れ説教を聴くようになり、人を許すことと人生の希望を聖書に見出し心に平安が戻った。
しかしバプテスマを受けるにはまだ決心がつかなかった。

信じられない話
彼女の能力と豊かな教育知識はまもなく見いだされ、教会で土曜日の子供の時間を手助けする役を頼まれた。彼女は喜んで子供たちに聖書の物語を聞かせるようになった。

ある日のことテーマは[3人の友達とダニエル]で熱い炉の中に入れられたにもかかわらず神に守られ無事であった話を真剣な気持ちで語ったが終わると小さな男の子が「僕はそんなことは信じない!」と言う。即座に小さな女の子が「私は信じるよ、おばあちゃんが広島に原子爆弾が落ちた時に広島アドベンチスト教会の人は一人も死なずに助かったといつも、いつも話してくれたもの」と答えた。

あさ子がこれを聞いた時には、この話を子供たちに話しはしたものの自分では聖書のこの話は信じていなかった。そして彼女はこの小さい女の子の言ったことも信じなかった。

だが同時に彼女の頭に浮かんだことは、私は新聞記者ではないか、この女の子が話したことが真実であるかどうか調べ追究するべきではないだろうか?こうして広島に爆弾が投下された当時の全教会員を探すことが始まった。

宿命の日20110418_pj01_017-429x560
1945年8月6日の朝、世界で初めての原子爆弾が投下された時その投下位置から2km以内は完全に破壊された。爆弾の投下した土地の温度は6000度で4km以内の人は焼け死んだ。風速260kmの熱風が同時に起きコンクリートの建物さえも一瞬に倒し、割れたガラスが四方16kmまで吹き飛んだ。爆弾の発光は巨大で、被爆者は体の全組織細胞が自滅する状態を起こした(アポプトーゼ)。
投下爆発と同時に町全体が炎に包まれ、放射電光による燃焼によって20万人の広島住民は亡くなった。

たった一人のアドベンチストも傷つきさえもしなかった
このような猛烈な想像もつかない破壊のただ中にあって、たった一人のアドベンチストさえ、死なず傷つきもしなかったということは本当だろうか?

一人の教会員は今も投下中心地に住んでいる。

あさ子がかつての教会員で現在生きている人達を一人一人探し訪ね始めた時には、そんなことは在りえないという疑惑を持ち、このことを信じてはいなかったが、実際に教会員の一人も傷もおわず生きていることが証明された時、あの小さな女の子が正しかったことを知った。

突然台風のような突風に襲われ恐ろしさのために膝をつき祈りをしたと言う一人のアドベンチスト女性、戒能ひろ子さんに汽車の中でインタビューをした。

彼女の家のガラスは四方八方に飛び散ったにもかかわらず、彼女は一つの傷も負わなかった。その他の広島アドベンチスト20人も傷つかず死をまぬがれた。

6人の人は高齢のために亡くなっており、他の人は現在も元気で活躍している。
桑本イワさんは現在83歳で今でも家で、また電話や手紙などを通して福音を伝えている。当時彼女は原爆投下地点より1km離れているところにいた。

崩れた建物の下にもぐり込み、その隙間から太陽を覆い隠し暗くなり真っ黒な帯が地を覆う巨大なきのこ雲を見た。彼女は信仰を持っていない夫を崩れたがれきの下から引っ張り出そうと試みたが、燃え盛る炎がそれを妨害した。

いわさんは泣きながら夫の手を引っ張り「まもなく火にまかれる、私はこれ以上どうすることも出来ない、ここでいっしょに死にましょう。神様は全てをご存知です。お願いだからイエス・キリストさまを信じて頂戴、私はあなたを助けることは出来ないから」。夫は「いや私はここで死ぬが、しかしお前はどこか安全な場所に逃げて子供たちを見つけなければならない!子供たちのために…」

彼女はまた言った「この火から絶対に逃げられない、私も貴方といっしょに死にます」しかし夫は聞き入れず「私の心配はしなくていいから…私は自分の母やお前の神に対する信仰に長いこと反対し神を信じようとしなかったが、たった今私は神が私達が再び会うことが出来るようにしてくださる事を信じる。お願いだから行って子供たちを捜してくれ!」彼女は熱い涙と胸が張り裂けるほどの思いで夫を後にした。途中体に水をかけて濡らしながら火の中から逃れた。その後子供たちをも見つけた。

木原富子さんは付属病院の女医だった。彼女は夜勤の後午前2時に帰宅し、原爆投下された時は眠っていた。投下地からはわずか1kmの距離もない所に住んでいたにもかかわらず、破壊にも遇わずそして怪我もしなかった。

爆発の驚きで何ごとかと外に飛び出して見ると、ただ真っ黒にこげた土だけを見た。ただならぬ状態を感じ取ると町の反対側のはずれにある病院に連絡を取り、助かったわずかの医師と共に昼も夜も休みなく何週間もの間被爆者を治療した。この悲劇は何ヶ月もの間続き彼女は力の限りを尽くして被爆者に献身した。彼女は多くの人々の光だったに違いない。

あさ子は信仰を見つける
あさ子はこれらの人達の体験を聞くことにより、神の力の存在を確信しバプテスマを受けた。主の御言葉に従い、主のまことを人々に語り伝えるために58歳で日本三育学院大学で神学を学び始めた。卒業後柏アドベンチスト教会の牧師となり、その後木更津アドベンチスト教会の聖書解釈の仕事に従事する。退職後も引き続き他の福音伝道者と共に活発な伝道をしている。
そしてまもなく90歳を迎えようとする現在、健康でこう語る。

「私はお互いに支えあう家族はいませんが、神が私を愛して下さっていることを知っておりますから大変満足しています」