小羊の婚姻の時

エペソ 5:25 ‐27
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである」。 

黙示録 19:7‐8
「わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。 

キ実290
「たとえの中の礼服は、キリストの真の弟子が持つ清くてしみのない品性をあらわしている。教会は、『しみも、しわも、そ のたぐいのものがいっさいなく、」「汚れのない麻布の衣を着る」のである(エペソ5:27、黙示録19:8)。この麻布の衣は『聖徒たちの正しい行いである』と聖書にしるされている(黙示録19:8)。主を自分の救い主として受け入れるすべての者に信仰を通して与えられるのは、キリストの義であり、キリストご自身の汚れのないご品性である』。

キ実291
天の織機で織られたこの衣には、人間の創意による糸は一本も含まれていない。キリストは人性をおとりになって完全な品性を形成された。そしてこの品性をわたしたちに分け与えてくださるのである。『われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである』(イザヤ書64:6)。わたしたちが自分でなし得ることは、罪で汚れている」。

キ実292
「人が自分自身の心をキリストにささげるとき、心はキリストの心と結合し、意志はキリストの意志に没入し、精神はキリストの精神と一つになり、思いはキリストのうちにとらわれて、わたしたちはキリストのいのちを生きる。これがキリストの義の衣を着ることである」。

キ実292
「婚宴の客は 王の検査を受けた。王の命じるままに礼服を身につけた者だけが受け入れられた。福音の婚宴の客もこれと同じである。すべての者が偉大な王の厳密な検査を通過しなければならない。そしてキリストの義の衣を着ている者だけが受け入れられるのである。
義とは正しい行ないである。そしてすべての者は各自の行為によってさばかれる。わたしたちの品性は、わたしたちの行ないに現われる。行ないは信仰が本物であるかどうかを示す」。

キ実295
キリストの義は、心中に一つでも愛している罪があれば、それをおおうことをしない人は、心の中で律法に違反していても外面的な違反行為を犯さなければ、世間の人々から高潔な人物と見なされるだろう。しかし、神の律法は心の秘密を見ぬく。すべての行為は、その動機によってさばかれる。神の律法の原則に調和している事がらだけが、さばきのときに立ちうるのである」。

キ実307
「人間の意志が、神の意志と協力すると、どんなことでもできるようになる。神がお命じになったことは、神の力によって完成することができる。神のお命じになること はどんなことでも、成しとげることができるのである」。

初文452
「各人の判決は生か死かのいずれかにきまっていた。イエスが聖所で奉仕しておられた間に、審判は死せる義人から次に生ける義人へとつづけられていたのである。キリストは、ご自身の民のために贖いをなして彼らの罪を消し去りみ国を受けておられた。み国の民はもうできあがっていた。小羊なるキリストの婚姻は終わった。『国と・・・全天下の国々の権威とは』みなイエスと救いを継ぐ者とに与えられ、イエスは王の王、主の主として治められることになった」。

TM 506
「主は、・・・あなたがたのために・・・秋の雨(前の雨)と春の雨(後の雨)とを降らせられる」。東洋では、前の雨は種蒔き時に降る。それは、種を発芽させるために必要なのである。雨によって土地がうるおされている時に、やわらかい芽が生えてくる。季節の終わり近くに降る後の雨は、穀物を成熟させ、刈り入れるための用意をさせるのである。主はこのような自然の営みを用いて、聖霊の働きを描いておられる。
初めに露と雨が発芽のために与えられ、そして次に収穫の実りのために与えられる。このように我々の霊的成長の過程でも、一つの段階から次の段階へと進ませるように聖霊が与えられるのである。穀物が熟することは、魂の内に神の恵みの働きが完成することを表している。聖霊の力によって、神の道徳的みかたちが品性のうちに完全にされるのである。我々は、キリストに似る者となるまで全く変えられなければならない」。