審判の良きおとずれ

*霊感の言葉*

大争闘下211
「わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主 権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない」(ダニエル書7:13,14)。ここに描かれているキリストの来臨は、キリストが地上に再臨されることではない。キリストは、天において日の老いたる者のもとに来られるのであって、それは、彼の仲保者としての働きが終わるときに与えられる「主権と光栄と国」とをお受けになるためである。2300日の終わりである1844に起こると預言されたのは、この来臨のことであって、キリストが地上に再臨されることではなかった。

われわれの大祭司は、天使たちを従えて、至聖所に入り、神のみ前で、人類のための彼の最後の務めをなさる。それは、調査審判の働きであり、贖罪の恵みにあずかる資格があることを示したすべての人のために贖いをなさることである」。

 

大争闘下216
「人々は、地上の法廷の判決に深い関心を示すのであるが、しかしそれも、いのちの書にその名を記された人々が、全地の審判者の前で調査される時の天の法廷における関心とは、とうてい比較にならない。仲保者イエスは、彼の血を信じる信仰によって勝利したものがみな、その罪を許され、再びエデンの家郷にもどって「以前の主権」を彼とともに継ぐ者となるように、嘆願されるのである(ミカ書4:8)。サタンは、人類をあざむき、誘惑すること によって、

人類創造における神のご計画を挫折させようと考えた。しかし、キリストは今、人間が堕落しなかったかのように、この計画の実行を求められるのである。キリストは、ご自分の民のために、完全で十分な許しと 義認だけでなくて、彼らが、ご自分の栄光にあずかり、ともにみ座につくことを求められるのである。

イエスが 、彼の恵みに浴する人々のために嘆願される一方において、サタンは、彼らを罪人として神の前に告訴する。……

イエスは、彼らの罪の弁解はなさらないが、彼らの悔い改めと信仰を示して、彼らの許しを主張なさり、天父と天使たちの前で、ご自分の傷ついた両手をあげ、わたしは彼らの名を知っている、わたしは彼らを、わたしのたなごころに彫り刻んだ、と言われるのである。……キリストは、忠実な人々に、ご自分の義の衣を着せて、父なる神の前に『しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会』として立たせてくださる(エペソ5:27)。彼らの名は、いのちの書に書きとめられる。……

こうして、新しい契約が完全に成就する。『わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない。』『主は言われる、 その日その時には、イスラエルのとがを探しても見当らず、ユダの罪を探してもない』(エレミヤ書31:34,50:20)。『その日、主の枝は麗しく栄え、地の産物はイスラエルの生き残った者の誇、また光栄となる。・・・・シオンに残るもの、エルサレムにとどまる者、すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は聖なる者ととなえられる』(イザヤ書4:2,3 )」。