安息日の変更:史上最大の作り話

黙示録 13:15
「それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた」。

ダニエル7:25
「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む」。

ルカ4:16
「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」。

創世記2:2, 3
「神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」。

出エジプト16:25
「モーセは言った、『きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。 六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう』。 ところが民のうちには、七日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった」。

ヘブル 4:9-10
「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである」。

使徒17:2
「パウロは例によって(as his manner was)、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、」

使徒 18:4
「パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた」。

マタイ24:20
「あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ」。

ヘブル4:5
「またここで、『彼らをわたしの安息に、はいらせることはしない』と言われている」。

Heb4:5
「And in this place again, If they shall enter intomay rest.」

黙示録12:17
「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」。

黙示録 14:12
「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。

黙示録 22:14
「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである(欽定訳:神の戒めを行う者たちは)」。

Rev22:14:
「Blessed are they that do his commandments, that they may have right to the tree of life, and may enter in through the gates into the city.」

【説教内容】

今回のテーマについて、決して私は日曜日を安息日として礼拝しておられるクリスチャンを軽蔑しているわけではありませんので、前置きしておきます。

「それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。」ヨハネの黙示録 13:15

この聖句のように、誰を礼拝するかが生死を決定する時が来ます。ダニエル書の中にも二回、誰を礼拝するかで生死に関わる事件がありました。

「だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と。」ダニエル書 3:6

私の親戚のクリスチャンは、トートーメーの所では、その場で神様にお祈りすれば良いから、みんなの前では手を合わせなさいと僕に言いました。しかし、それを見ている人にはどう映るのでしょうか?
普通に拝んでいるようにしかみえないはずです。ここでダニエルは自分の信仰を堂々と公に表明する大切さについて教えています。

「国の総監、長官および総督、参議および知事らは、相はかって、王が一つのおきてを立て、一つの禁令を定められるよう求めることになりました。王よ、それはこうです。すなわち今から三十日の間は、ただあなたにのみ願い事をさせ、もしあなたをおいて、神または人にこれをなす者があれば、すべてその者を、ししの穴に投げ入れるというのです。」ダニエル書 6:7

一般的なキリスト教会の安息日についての誤った考え方をまとめてみます。

①安息日はユダヤ人の為だけである。
②こだわる必要はない、毎日を安息日とすれば良い 。
③どの日が安息日かわからない。
④安息日は出エジプトの記念に過ぎない。
⑤キリストの復活の記念として日曜日に礼拝すべきである。

このように、ある人はキリストの復活が日曜日だったので、日曜日に礼拝をするのです。
ここで考えてみましょう。キリストの最後の晩餐は木曜日でした。そして金曜日に十字架につかれ、日曜日に復活されました。だからと言って、礼拝日が安息日となることにはならないのです。

それでは、キリストはいつ礼拝されましたか?

「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。」ルカによる福音書 4:16

安息日であったと記録されています。この安息日とはどのようにして制定されたでしょうか?

「神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。」創世記 2:2-3

第7日が何回出てきましたか?三回です。神様が三回繰り返す時は非常に注目を促されます。聖書には666も6を三回繰り返します。非常に強調された数字

辞典では、土曜日は週の第7日、日曜日は週の第1日と書いてあります。
また、世界中の言語で土曜日はなんと発音するか見てみましょう。

古代ローマでは「サターン」英語は「サタディ」です。
ヘブライ語に影響を受けた言語は、イタリヤ語「サバト」、フランス語「サバディ」、ドイツ語「サムスタッグ」のように、「サバス」に近い発音になっています。

それなのに、最近はカレンダーも人間の仕事の都合で月曜日が週の始めに書き換えられたものが増えてきました。そうすると、日曜日が第7日になってしまいます。
このように、暦を変更することで人間の生活を便利にする思想は、1582年以降、グレゴリオス13世によって制定されたグレゴリオ歴です。

紀元前45、6年より制定されていたユリウス暦は、1582年までに10日間の太陽の動きと実際の動きに誤差が出てきました。

そこで、グレゴリオ歴は10月5日を10日飛ばして、10月15日にしました。しかし週の曜日は変わっていませんでした。

さて、誰が安息日を制定されましたか?神様です。
なぜ神様は6日で創造されたのに、そのすぐ後の7日目に安息日だったのでしょうか?
疲れていましたか?
いいえ、これは疲れたから制定されたのではなく、愛という時間が必要だったのです。
人を愛し神を愛するためには時間が必要だったのです。この日に、自分の業をなさず、
この日を聖別して神様に心を向けるのです。つまり、自然界の中に入って神を見上げたりする為の聖別された時間だったのです。
時間は愛を発達させるべきものです。夫婦も時間が無ければすれ違いが多くなり関係が冷めていきます。安息日はそのような意味がありました。

神様は安息日についてなんと言われましたか?
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」出エジプト記 20:8

「覚えて」とは、「思い出しなさい」という意味もあります。そして「保ちなさい」という事でした。

天から与えられたマナ(神が超自然的に与えられた天のパン)の集め方を見てみると、金曜日は2倍収集できました。これは安息日を守らせるために神様がお与え下さったのです。そしてこれはシナイ山で十戒があたえられる前の出来事です。

この十戒は変更されましたか?

「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」マタイによる福音書 5:18

しかし、敵の手により律法は変更されるという預言があります。
「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。」ダニエル書 7:25

しかし神様やキリストは永遠に変わりません。律法も同じく不変なのです。
「その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。」箴言 30:6

「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。」ヘブル人への手紙 4:9

沖縄もかつては右側を車が走っていました。「730」のビッグイベントでいきなり左側通行に変わりました。「730」とは7月30日という意味です。沖縄住民にあまねく通達するために黄色い標識が全島に建てられました。この作業は前日7月29日の22時から翌日6時までの8時間に成し遂げなければなりませんでした。県の職員は徹夜でやりました。しかもその前日は台風でした。信号もカバーをかけていたものを外して使えるようにしたり大変でした。Tシャツ、チラシ、講演会などによって1978年昭和53年7月30日にこの大規模な交通規制変更作戦が実行されたのです。

沖縄はアメリカ式に30年間右側を車が走っていました。しかし日本の交通ルールが適用されました。この変化はみんなに呼びかけられました。
聖書でも、シナイ山で十戒が与えられた時どうでしたか?

「三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。 ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。」出エジプト記 19:16-19

もし安息日の律法が変更されたならば、このように厳粛にそして大々的に通達されなければなりません。つまり安息日は密かに変えられたのでした。

では弟子たちは安息日を守りましたか?

「週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。」使徒行伝 20:7

この聖句をもって、週の始まり日曜日に礼拝したと主張する人がいますが、これはパウロが出発するので特別に送別のために集まったのです。そのパウロは安息日に何をしていたでしょうか?

「パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、」使徒行伝 17:2

パウロも例によって安息日を守っていました。

安息日はキリストご自身が制定されました。

「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」ヨハネによる福音書 1:3 

それでは、異邦人はどうでしたか?

「ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。」使徒行伝 13:42

二人の弟子に対して、また安息日に同じ話しをして欲しいと願いました。つまり安息日を守っていました。

また律法は十字架の後変更されましたか?

「この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。 イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。 そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ。」
ルカによる福音書 23:54-56

「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。」
ルカによる福音書 24:1

十字架の後も日曜日が週の始めの日でした。

天国の新しい地でも安息日を守りますか?
「『わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地がわたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名はながくとどまる』と主は言われる。 『新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する』と主は言われる。」イザヤ書 66:22-23

歴史的なまとめですが。聖書の世界では地上歴史は約6000年と言われています。この間、安息日をずっと守り続けてきました。それなのに、今の時代だけ守らなくても良いのでしょうか?

日曜日は主の日でしょうか?
「ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。」ヨハネの黙示録 1:10

「七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。」出エジプト記 20:10

「もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、」イザヤ書 58:13

「わが聖日」、つまり主の日は安息日です。

キリストの復活を記念して特別に毎週祝うべきことは聖書に書かれていません。

誰が日曜日に礼拝するようにしましたか?それは人間です。下記参照

アウガスタス.ニャンダー.「キリスト教と教会史」168頁

「日曜日の祝典は人の定めたもので、使徒たちが 神の命令に従って日曜日を聖日と定める計画であったなどというのはとんでもないことで、大きな間違いであります。そんな事は決してありません。 また初代の使徒たちの教会が安息日の律法を土曜日から日曜日に変更したということも決して事実ではありません。」

 

ウィリアム·ドルビル、『聖書考察」291頁

「日曜日が安息日として守り始められる前に、キリスト教の数世紀が過ぎています。紀元321年のコンスタンチン帝の日曜休業令の発布以前には、日曜が遵守されたということを証明する 事実は一つもありませんでした。 」

この紀元321年の日曜休業令に関して下記を参照。

紀元321年のコンスタンチン帝が発布した日曜休業令 「太陽の尊ぶべき日に官庁や市民に休暇を与え、かつ 工場で働く人々に休息を与えよ.ただし田舎に住んて農業に従事する者は自由に…労働することができる。それはしばしばその日を除いては種蒔き、あるいはぶどうの木の植え付けなどに適しないからである」。”The History of Christian Church”Schaff Vol. p 500 “Church History”par. 75, p.379

この思想のもと、安息日が日曜日に変更されました。下記を参照。

歴史家ウィリアムプリン著「主の日論」163頁 「第七日(土曜)安息日は、使徒や初代クリスチャン によって神聖視されましたが、このラオデキヤ会議は主 の日(紀元364年)に至って全くその遵守は廃止されたの です。このラオデキヤ会議は主の日(日曜日)遵守を確 定した最初のものでありました。」
つまりカトリック教会が、ラオデキヤ会議で教会の決まりとして安息日を日曜日に定めました。カトリック教会はこれを公に認めているのです。

このことにより、プロテスタント諸教会が日曜日に礼拝する意味について考えると、これは知らず知らずのうちにカトリックの権威に従っていることになるのです。

安息日は十字架で廃されたのですか?彼らは下記の聖句でそのように主張します。
「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。…だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。」コロサイ人への手紙 2:14, 16

これをもって律法は廃されたと主張する人もいますが、これは聖所の犠牲制度(礼典律)がキリストの十字架によって廃されたのです。だから神殿の幕がキリストの十字架で縦に裂けたのでした。

「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。ダニエル書 9:27
これはキリストの十字架を予表していた動物の犠牲制度が十字架で廃されるという預言であります。しかし十戒(道徳律)はいまだに有効です。

なぜ神様は神の民に安息日をあたえましたか?

「わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。」エゼキエル書 20:12

この神の印を持つ安息日を守る人は、創造主との正しい関係になります。そして神様はこの罪人の心に愛の心を再創造されるのです。

安息日を守ることはどれほど重要ですか?

「なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。」ヤコブの手紙 2:10

サタンはこの神様と人間が愛を育む機会を憎むのです。
そして、神の裁きはこのことによって、つまり安息日によって裁かれます。

「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、 大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。」ヨハネの黙示録 14:6-7
「わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。」ルカによる福音書 6:46

安息日を守ることは私にとって重要ですか?
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」マタイによる福音書 11:28
そして神の民の特徴について聖書にこうあります。
「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。」ヨハネの黙示録 12:17
「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。ヨハネの黙示録 14:12
「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。」ヨハネの黙示録 22:14
これは口語訳聖書の誤訳です「自分の着物を洗う者」は、正しくは欽定訳聖書「神の戒めを守るもの」です。

私たちは真理によって一致しなければなりません。エキュメニカル運動は、妥協によるものです。今年はカトリックとプロテスタントが500周年記念をもって一致します。本当の神の民の一致は真理による一致です。この中心は神の教えである真理にみんな集まってくるべきです。キリストはゲッセマネの園で弟子が一致するように祈られました。

「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。」ヨハネによる福音書 17:17

我々は先にこれを知りました、神様によって最後の神の民を作っていく運動の一員になりたいと思います。