天の王家の紋章

*霊感の言葉*

キリストの実物教訓54
種の中の胚種(はいしゅ)は、神が種の中に植えつけられた生命の原則によって生長するのである。種の発育は、全く人間の力によるものではない。キリストの王国でもそれと同様である。それは、新創造である。その発達の原則は、世界の諸国を支配している原則とは正反対のものである。地上の政府は、武力によって目的を達し、戦争によって 領土を保持する。しかし、新しい国の建設者は、平和の君である。聖霊は、おそろしい猛獣によって地上の王国を象徴したが、キリストは「世の罪を取り除く神の小羊」である(ヨハネ1:29)。暴力をつかって良心をしいることは、小羊の政策ではない。…キリストは、 人の心に原則をお植えになるのである。真理と義とを植えることによって、誤りと罪に対抗なさるのである。

安息日学校への勧告112-113

不従順な者への忍耐
わたしたちは人の心を読むことができないことを忘れないでください。まちがったように見える行為の動機が何であったかわからないのです。また、正しい教育を受けていない人が多くいます。彼らの性格は曲げられ、かたくてふしだらけで、何から何まで曲っているように思えます。しかしキリストの恵みはこれを変えることができます。ですから、決して彼らを捨ててはなりません。さらに、「あなたはわたしを失望させてしまいました。もうこれ以上何もできません」といって、彼らを失望させたり絶望させたりしてはなりません。当然言ってもよいと思って、とっさの場合に怒って言ったひと言が、彼らとわたしたちを結びつけている感化の糸を切ってしまうことがあります。

矛盾のない生活、辛抱強い忍耐、怒りによって動かない精神は、常にもっとも決定的な議論であり、厳粛な訴えです。機会と有利な立場がまだあなたのものであるなら、このことをよく考えて、いつも賢い、注意深いやさしい教師であってください。

祝福の山86-96
「神の子供とは神のご性質をうけついでいる者である。わたしたちが神の家族の一員であることを証明するものは、この世の地位でも生まれでも国籍でも、あるいは宗教上の恩典でもなく、それは愛―全人類を包容する愛―である。罪びとでさえ、その心が神の聖霊に対して全く閉ざされているのでなければ、親切には応じてくる。彼らは、憎まれれば憎むが愛されればまた愛することもできるのである。しかし、憎しみに対して愛で報いるのは神の聖霊だけである。感謝の気持ちのない者や悪しき者に親切を尽くし、何も当てにしないで善をなすこと―これが天の王家の紋章であり、いと高き者の子らがその高い身分を明らかにする確かなしるしである。」

 9T・185,186
キリストだけが、われわれの審判者におなりになることができるのである。兄弟方よ、これを覚えていただけるだろうか。牧師方よ、それを記憶していただけるだろうか。父たち、母たちよ、あなた方は、それを覚えてくださるだろうか。キリストはわれわれの審判者となられるために、人性をおとりになったのである。あなた方のうちだれも、他の人々の審判者となるように定められてはいない。あなたたちは、自分自身を訓練するだけでいっぱいなのである。決して自分で裁きの座についてはならないと、キリストが、あなたたちにお与えになった命令に心を留めるよう、わたしはキリストの名によって、あなたたちにお願いする。日々このメッセージがわたしの耳に響いたのである。「裁きの座から降りなさい、へりくだって降りなさい」と。