十字架上の強盗

ルカ23章43節
「イエスは言われた、『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』。」

ある人々は、この聖句から、魂は死後すぐに、報いを受け(パラダイス)へ行くと憶測しましたが、それは他の聖句の記録に全く反します。この推測にある2つのことに注意して下さい。第一に、イエスは強盗に「よく言っておくが、あなたはきょう、私と一緒にパラダイスにいるであろう」と言われましたが、三日後に、イエスはマリアに「私は、まだ父のみもとに上っていない」と言われました。ここに、イエスの父が、パラダイスにいたという証拠があります。黙示録2章7節は、命の木は、神のパラダイスの真ん中にあると言っており、黙示録22章1,2節は、神の御座から順々に流れている命の川の側の、命の木を描写しています。そこで、パラダイスが、父の御座のあるところに位置していることは、疑いの余地がありません。問題は、イエスがその日にパラダイスで父と共にいるであろうと、どのようにしてイエスが強盗に言えたのかということです。そして、その日にイエスはそこ(パラダイス)へ行っていないのです。三日後までは。

第二に、イエスと泥棒は、ちょうど同じ日に、死ななかったのです。ちょうど日没前に、十字架からその体を降ろすために、兵士たちが来た時、イエスはすでに死んでいました(ヨハネ19章32-34節)。泥棒たちは、確かに生きていました。そして、死を早めるためと、逃げるのを防ぐために、彼らの足は折られました。彼らは、疑いなく、安息日の日没過ぎか、おそらくそれ以上、生きていました。ですから、どのようにしてイエスはその泥棒に、彼らが死ななかった「その日」に、彼と共にパラダイスにいることを保証することができたのでしょうか?

英語の聖書が翻訳された時、霊感を受けていない人によって、ルカ23章43節の句読点が、追加されたことを考慮する時、明白な矛盾が、解き明かされます。彼らは、「きょう」という単語の前に、句読点を置きましたが、実際には、それは、「きょう」のあとに置かれるべきでした。そうすれば、その聖句は、「きょう、私はあなたによく言っておく。あなたは、私と一緒に、パラダイスにいるであろう」と、正しく読まれるのでしょう。つまり、イエスが言われたことは、「きょう、私はあなたに保証します。私が誰も救えないと見える時、きょう私の弟子たちが私を見捨て、犯罪人が死ぬように、私が死のうとしている時-しかし今この時、私は、あなたの救いを保証します。」

注意して下さい。泥棒は、その時パラダイスへ連れて行ってくれるように頼んだのではないのです。彼は、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、私を思い出して下さい」と頼みました。その時こそ、彼が覚えられる、天国へ連れて行かれる正確な時なのです。