十字架を瞑想する

*霊感の言葉*

スタディーバイブル旧146
我々の犠牲キリスト―彼の働きはほとんど終了しかかっていた。彼の伝えるべき教えはあとわずかだった。そして、純潔無垢な神の小羊のへりくだりを彼らが決して忘れることのないように、偉大な犠牲の小羊は弟子たちの足を洗われた。我々の贖い主の生涯における最後の場面をしばしば思い返すことはあなたにとって、また我々の牧師たちにとっても益するところが多いであろう。誘惑に囲まれる主から、我々は皆、自分たちにとって計り知れない重要な教訓を学ぶことができる。かいばおけからカルバリーまでのキリストの生涯を毎日瞑想する時間を持つことは有益である。我々は想像力を働かせて一つ一つの場面を鮮明に、特に主の地上における生涯の最後の場面を心に焼きつけなければならない

 「こうして彼の教え苦難、人類の贖いのために彼が捧げられたこの上なく尊い犠牲瞑想することによって、我々は信仰を強め愛をよみがえらせ救い主を支えていたのと同じ精神に深く根ざすようになるのである。もし、最終的に救われることを望むなら、我々は皆、忍耐と信仰の教訓を十字架のもとで学ばなければならない。キリストは我々を永遠の辱めから救うために恥をもいとわれなかった。彼は自ら非難やあざけり、ののしりを身に受けることによってそれらから我々を守られた。彼の魂に暗闇をもたらし、神に見捨てられ神に打たれた者としての叫びをあげさせたのは我々のとがであった」。

キリストへの道11,12
私どもの贖いのために払われた価、私どものためにそのひとり子に死をさえおゆるしになった天の神の測り知れない犠牲を考えるとき、キリストによって私どもは非常に高潔な状態に到達することができるという観念をおこさずにはおられません。….

このような愛に比べ得るものはなにもありません。天の王子となるというのであります。なんと尊いみ約束でしょう。これは深い瞑想に価する主題であります。神を愛さなかった人類へのたぐいもない神の愛であります。この愛を考える時心はへりくだり、神のみ旨のままに従うようになります。そして十字架の光に照されて神のご性質を学べば学ぶほど神の恵みとあわれみを知り、神の公平と正義とゆるしとがひとつになっていて、放蕩息子を思いやる母親にも勝る限りない優しい愛の数知れない証拠を認めることができるのであります」。