偶像王国・日本

*霊感の言葉*

ミニストリー・オブ・ヒーリングより

神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない」(ローマ1:20)。

現在、わたしたちがながめている自然の事物はエデンの輝きをかすかにしのばせている。罪は地上の美を傷つけ、万物の上に罪悪の痕跡が見える。しかしなお、美しいものが多く残っていて、無限の力を持ち、大いなる恵みとあわれみと愛に富まれる神がこの地を創造し、生命と喜びで地上を満たされたことを自然が証明している。こうした、むしばまれた状態においてなお、万物は「大芸術家」の手のわざを表わしていて、どちらを向いても、わたしたちは神の声を聞き、神の恵みの証拠を見ることができる。

低くなりとどろく雷の荘厳な響きや、絶え間ない海の波の音をはじめとし、森の中にメロディーをひびかせる小鳥の楽しい歌声にいたるまで、自然のあらゆる声が神を賛美している。また地も海も空もすばらしい色彩をこらし、目のさめるような配合や、美しく調和した混合色のうちに神の栄光をながめるのである。いつも変らない丘は神の力を語り、緑の旗を太陽になびかせている木々や優美な花も、創造主の力を示している。褐色の地上を敷きつめている新鮮な緑は被造物の中で最も低いものに対する神の保護を物語っている。海の洞窟や地中の深い所に神の宝がある。海中に真珠をちりばめ、岩の間に紫水晶や緑玉を飾られた神は、美を愛されるおかたである。空にのぼる太陽はすべての被造物の生命であり、光である神を代表するものであり、地を飾り、天を照す、あらゆる輝きと美が神を物語っている

神が造られた自然の事物自体は自然界における神ではない。自然の事物は神の品性と力の表現であるが、わたしたちは自然を神と思ってはならない。人間の芸術的手腕は人の目を喜ばせる非常に美しいものをつくり出す。出来上がったものは製作者の考え方をいくぶん示しているが、それが製作者ではない。名誉の対象となるのは作品ではなく、製作者である。したがって自然界は神の思想の表現であって、あがめるべきものは自然ではなく、自然界の神である。383-384

神が人間に知らせたいと思っておられることを教えるためにキリストはこられた。高い天に、地に、広い海に神のみ手のわざをわたしたちは見るのである。全被造物は神の力と知恵と愛を証明している。しかし、星や海や瀑布などからは、キリストのうちにあらわされているほどの神の性質を学びとることはできない。神の個性と品性を描写するには自然界よりもさらに明りょうに表わすものが必要であることをごらんになり、神のみ子を世につかわし、見えざる神の性質や属性を人間の目にたえられる程度に表わされたのであった。394

キリストの中にあらわされている神の知識は、救われた者が皆持たねばならないものである。それは品性を変化させる知識である。この知識を受けるとき人間は神のかたちに似て再創造される。それは全身に神聖な霊の力を与える。401