信仰者たちが倒れる瞬間

*霊感の言葉*

「神の言葉を確かなものとして受け取らない人々は、人間の知恵によって助けられることも期待してはならない。なぜなら、神から離れた人間の知恵は、 風に激しく吹きつけられる海の波のようだからである。キリストの言葉は、『あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう』。与えられた光を拒んではならない。ヨシヤの歴史を読みなさい。彼は良き働きをした。彼の治世の間偶像礼拝は鎮圧され、外見上うまく根絶された ように見えた。宮は再開され、犠牲の捧げ物が再興された。彼の働きは成功した。しかし、彼はついに戦死した。 なぜか。それは与えられた警告をよく聞かなかったからである。・・・主はエジプトの王と戦うようにとの命令をヨシヤに与えられなかった。」(MS163, 1903年)

「主は、戦争によって神に仕える時がきたという命令をエジプトの王に与えた。使者たちがネコと戦わないようにヨシヤに伝えた時、ヨシヤはそれが主から直接にきた言葉ではないと喜んだことであろう。自信に満ちていたヨシヤは、軍隊と共に引き返すことは屈辱的であると思い、彼は進んだ。そして、このために彼は戦死した。彼はその戦いに関わるべきではなかった。主によって大いに栄誉を与えられたこの人は、神の言葉を敬わなかった。主は好意をもって語られ、彼に良い事を預言されたのであった。自信に満ちたヨシヤは警告を聞かなかった。彼は神の言葉に逆らって自分自身の道に従うことを選んだ。そして神は、彼の行動の結末から彼を守ることができなかった。今日、人々は、自分自身の望みと意志に従う事を選ぶ。だから、はなはだしい霊的盲目の存在は驚くには及ばないのである。」(MS163, 1903年)。

「・・・アンテオケで、ペテロは誠実という原則に関して失敗した。パウロは面と向かってペテロの誤りに導く影響に立ち向かわねばならなかった。他の者たちがこれによって益を得ることができるように、また高い地位にある人間に対して、彼らが誠実であることに失敗することなく、原則をきちんと守ることができるよう厳粛な警告を与えるために、この事が記録された。ペテロはことごとく失敗した後、挫折して回復された。長い奉仕の道のりの後、キリストと親しく知り合った後、キリストの清くまっすぐな原則の実行について知った。すべての教えを受け、み言葉を宣べ伝え、教えることにおいてあらゆる賜物と知識と大きな感化を受けた。その後に、彼が人を恐れて評判を得るために、福音の原則を偽り、無効にするなどということは不思議ではないだろうか。彼が動揺し、自分の立場を二面性のあるものにしたのは不思議ではないだろうか。」  (MS 122, 1897年)

「マラキの時代のイスラエルの人々が、彼らの高慢な心を屈服させて直ちに愛の服従をなし、心から協力することを躊躇したとは、なんという悲しい記録であろう。『われわれはどうして帰ろうか』と彼らが答えていることは、彼らの自己弁護をあらわしている。・・・これらは自らを義とし、自分たちの行為、犠牲や儀式そのものに頼り、こうしたことのすべてが指示していた主の功績に頼ることをしなかった。こうして彼らは、『自分の義を立てようと努め』自己満足的形式主義に凝り固まってしまった。彼らは、神の聖霊と恵みとに欠けていたので、その欠点を宗教的儀式と礼典を厳格に守ることによって補おうとした。彼らは、神ご自身がお命じになった儀式では満足せずに、彼ら自身が考案した無数の禁令によって、神の戒めを繁雑なものにした。彼らは、神から遠く隔たれば隔たるほどますます厳格にこうした形式に固執したのである。」 国と指導者下巻308、310

「神がすべての人にその個人的弱さを自覚させて、自分の船をまっすぐに安全に港の中に向けてかじを取らせて下さるように。キリストの恵みは日毎に欠くことができないものである。彼の比類なき恵みだけが、我々の足を堕落から救うことができる。」(MS 122, 1897年)