主を知る

私たちは、主について知っていても、主を知らないことがあります。主を知るとは、私たちの罪のための犠牲として御子をお与えになった神の愛を知り、またその愛をもってたがいに愛し合うことです。主を個人的に知らなければ、主は私たちのうちにキリストのご品性を再現することがおできになりません。そして後の雨を受けて神に栄光を帰すこともできません。私たちは、主を知ることを強く求めようではありませんか。

 

ホセア6:3わたしたちは主を知ろう、
せつに主を知ることを求めよう。
主はあしたの光のように必ず現れいで、
冬の雨のように、わたしたちに臨み、
春の雨のように地を潤される」。