主は命を与えませり

*霊感の言葉*

キリストへの道11
私どもの贖いのために払われた価、私どものためにそのひとり子に死をさえおゆるしになった天の神の測り知れない犠牲を
考えるときキリストによって私どもは非常に高潔な状態に到達することができるという観念をおこさずにはおられません。霊感に動かされた使徒ヨハネは、滅びゆく人類への天の父の愛の高さ、深さ、広さをながめて、心はただありがたさと敬虔の念でいっぱいになり、その愛の偉大さ、優しさを適当に表現する言葉を見いだすことができないで、「Behold(見よ、眺めよ、考えてみなさい)、わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか」(Ⅰヨハネ3:1)と世界に呼びかけています。人はなんと尊い価値をもっていることでしょう。罪を犯して人の子らは悪魔の奴隷となりましたが、キリストの贖いの犠牲を信ずることによって、アダムの子らはまた神の子となることができるのであります。キリストは人の性情をおとりになって人類を引き上げて下さいました。罪に落ちた人類は、キリストにつながってはじめて「神の子」という、その名にふさわしい尊い者となれるのであります。

このような愛に比べ得るものはなにもありません。天の王子となるというのであります。なんと尊いみ約束でしょう。これは深い瞑想に価する主題であります。神を愛さなかった人類へのたぐいもない神の愛であります。この愛を考える時心はへりくだり、神のみ旨のままに従うようになります。

 

1SM155
神への信仰と信頼で心を熱く燃やすためなら、求めるものはなんでも与えられる。地上の宮廷においては、王が真実さを民に保証するため心からの誓約をするときには、自分の子供を人質として与え、約束が成就したときその子供を取り戻します。父なる神の誓約は実に誠実であることに眼を止めなさい。神が、ご自身のお考えが変わらないものであることを人々に保証されるため、ご自分のひとり子をこの世に送り、人性を取らされましたそれも地上での短期間だけでなく天の宮廷においても人性を取り続けるようにし、ご自身がまごころを尽されることを永遠にわたって約束して下さいました。ああ何という神の愛と智恵の深さ、豊かさでしょう!「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」(Ⅰヨハネ3:1)

 スタディーバイブル新543
救い主の犠牲は、悔い改め信じるすべての魂のために十分に備えられている。キリストの血で贖われた者を神が愛される故に、我々は救われるのである。神は悔い改めた罪人をゆるし、天に入れて下さるだけではない。憐れみの父であられる神は、我々を歓迎し、最高に祝福された大邸宅に入れるために、天国の門で我々を迎えて下さるであろう。ああ、何という愛、何と驚くべき愛であろう。この堕落した人類に与えられた、神の愛するみ子という賜物のうちに父が示された愛を見よ。この犠牲は、イエス・キリストを信じるすべての者が放蕩息子のように、十分に、そして自由に天の恵みを受けられるように、彼の無限の愛が流れ出る通路なのである(RH 1886年 9月21日)