主の自由な民

ガラテヤ5:13
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。

 

Ⅰペテロ2:16
自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。
 
 【礼拝説教内容】    題:「主の自由な民」  話:池宮城義浩

Ⅰ. 最近話題になっている安全保障関連法案の強行採決について
(弁護士ドットコムニュースより引用)

 ①その中核となっている集団的自衛権とは何だろう?

集団的自衛権を行使することは、現在の日本国憲法のもとでも認められている――。安倍内閣はそのような憲法解釈を閣議決定し、国民に向けて説明した。集団的自衛権の行使を認めるべきかどうかについては、国民の間でも賛否が分かれているが、「集団的自衛権」と「憲法」の関係を正しく理解している人は意外と多くないようだ。

そもそも「集団的自衛権」という言葉が難しい。さらに、「憲法」とどういう関係にあるのかとなると、うまく説明できない人が多いのではないだろうか。そこで、憲法にくわしい弁護士に、「集団的自衛権と憲法の関係」について解説してもらうことにした。

法律資格予備校「伊藤塾」で憲法の講義をしていた経験をもち、現在もフリーの講師として活躍している伊藤建(たける)弁護士にインタビューして、「わかりやす~く」説明してもらった。

 そもそも「集団的自衛権」ってなに?

――いま話題になっている「集団的自衛権」とは、そもそも、どんな権利なのでしょうか? 「集団」で「自衛」するというのは、具体的に、どんなことをさすのでしょうか?

「集団的自衛権とは、『自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていない場合にも、実力をもって阻止する権利』のことです。要するに、親友がケンカを売られたら、自分も一緒になってケンカをする権利。この定義は、1981年5月以降、日本政府が一貫して採用しているものです」

 ――そのような集団的自衛権の行使について、安倍政権が「容認」する閣議決定をしたことが、大きなニュースになっています。ポイントはどこにあるのでしょうか?

「政府の説明によると、今回容認した集団的自衛権の行使は、日本が侵害される『明白な危険がある場合』に限定されています。つまり、親友がケンカを売られても、自分にとって『明白な危険』がなければ、一緒にケンカができないというわけです。

しかし、ベトナム戦争など、これまで実際に集団的自衛権の名のもとに武力が行使された世界の事例を見ると、政府が勝手に『明白な危険がある』と判断するおそれは否定できません。そのため、結局は限定がないのと同じだという批判もあります」

 ――今回の閣議決定は安全保障政策の大転換と伝えられています。これまでの政府は「集団的自衛権の行使は認められていない」と解釈していたということですが、それはなぜでしょうか?

「1972年以降の日本政府は、集団的自衛権の行使について、“必要最小限度”ではないと解釈していました。そのロジック(論理)は、次の通りです。

憲法9条1項は戦争を放棄しているが、自衛のための抗争は放棄していない。一方、憲法9条2項は戦争・戦力を放棄しているが、自衛のための“必要最小限度”の実力行使は禁止していない。そして、次の3つの条件を満たす場合にかぎり、“必要最小限度“の実力行使として許される。

(1)我が国に対して急迫不正な侵害があったこと

(2)これを排除するために他に適当な手段がないこと

(3)その急迫不正な侵害を排除するために必要最小限度の実力の行使にとどまること

このように政府は、自衛権の行使を理解してきました。要するに、(1)日本に対する攻撃が開始され、(2)他の手段がないならば、(3)やりすぎない限度で武器を使えるということです。

集団的自衛権は、国連憲章51条により、国際法上認められている権利。そのため、日本も集団的自衛権は持っている。ところが、集団的自衛権を行使することは、(1)の日本に対する急迫不正の侵害がないため、“必要最小限度”とはいえない。だから、日本は、国際法上は集団的自衛権を持っているけれども、その行使は憲法9条により禁止されている、とされてきたわけです」

 「集団的自衛権の行使容認」は憲法9条と矛盾しないのか?

 ――安倍内閣は、そのような従来の政府見解を変更したわけですね。そのロジックは、どのようなものでしょうか? 憲法9条が定める「戦争放棄」と矛盾しないのでしょうか?

「今回の閣議決定の要点は、『時代が変わったんだから、限定された集団的自衛権の行使ならば、“必要最小限度”として憲法9条に矛盾しないでしょ?』というものです。そのロジックは、次の通りです。

そもそも、“必要最小限度”の意味は『これだ』と決まっているわけではなく、時代とともに変化する。そのため、大量破壊兵器や弾道ミサイル、国際テロなどによる新たなリスクを考えると、(1)のように日本が攻撃されるのを待っているわけにはいかない。

だから、(1)の条件を、『我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合』に変更しても、“必要最小限度”といえる。

安倍内閣は、このような解釈ならば、憲法9条とは矛盾しない、というわけです」

 ――しかし、安倍内閣の解釈に対して、反対を表明している憲法学者が多数います。その反対のポイントはどこにあるのでしょうか?

「反対のポイントは、3つあります。

1つ目は、そもそも『集団的自衛権の行使を認める必要はない』という主張です。日本が他国の戦争に巻き込まれることになる、政府が集団的自衛権の行使が必要だと主張する場面は非現実的だ、これまでの個別的自衛権の行使でも十分対応できる、と指摘されています。

2つ目は、『集団的自衛権の行使は憲法9条の解釈の限界を超えている』という主張です。憲法9条が許しているのは、日本の自衛のために実力行使をすることだけだ。日本が攻撃されていないのに、他国のために実力行使ができるという集団的自衛権の行使は、解釈上認められないと指摘しています。

3つ目は、『閣議決定による解釈改憲ではなく、憲法改正によるべきである』という主張です。憲法は、政府を縛るために国民に与えられたもの。そのため、縛られる側の政府が勝手に憲法解釈を変更することはできない。変更するならば、憲法改正手続により、各議院の総議員の3分の2以上の賛成と国民投票による承認という難しい“入学テスト”をクリアするべきである、というわけです。

ところが、第2次安倍内閣は、この難しい入学テストを避け続けました。まず、憲法改正に必要な総議員の賛成を3分の2以上から過半数に引き下げることで、入学テストを簡単にしようとしましたが、公明党の賛成を得られずに断念しました。

次いで、閣議決定による解釈改憲により入学テストから逃げようとしたのですが、今度は『集団的自衛権の行使は違憲』との立場を変えなかった憲法解釈の“先生”である内閣法制局に反対されました。そこで、当時の内閣法制局長官である山本庸幸 (やまもと つねゆき) 氏を退任させ、集団的自衛権の行使に積極的な小松一郎氏を抜擢したのです。この人事は、『内閣法制局長官は内閣法制局の職員から任命する』という暗黙の了解を破ったため、“禁じ手”と評価されています。その結果、ようやく閣議決定による解釈改憲を実現させたのです。

このような正面突破ではない手法は、“裏口入学”に等しく、憲法の破壊・無視であると指摘されています」

 「解釈改憲」で重大なことを決めるのは許される?

――集団的自衛権の行使を認めるかどどうかは、国民にとって重大な問題だと思いますが、憲法を改正することなく、内閣の判断による『解釈改憲』によって、その方針を変更することは許されるのでしょうか?

「許すか許さないかは、主権者であるみなさん自身が選挙において判断するべきことです。

とはいえ、『集団的自衛権の行使は不要である』という憲法学者のみならず、かつて自民党の勉強会に招かれ、『憲法9条を改正して集団的自衛権の行使を認めるべきだ』と主張していた小林節・慶應大名誉教授や、元内閣法制局長官である大森政輔氏、阪田雅裕氏、山本庸幸氏の3人までもが『解釈改憲は許されない』という意見を表明している点は注目すべきでしょう。

今回認められた集団的自衛権の行使は、個別的自衛権の行使に毛が生えただけだとの見方もあります。しかし、その毛を生やすか否かについて、国民的な議論を尽くしたうえで、憲法改正手続により国民自身が決断するべきである。それが憲法の流儀だということです。

解釈改憲を許すならば、次回の選挙で自民党・公明党に投票すればよいでしょう。他方、許さないならば、自民党・公明党ではない議員に投票しなければなりません。…

(弁護士ドットコムニュース)

伊藤 建(いとう・たける)弁護士

デジタル大辞泉の解説
かいしゃくかいけん【解釈改憲】
政府や議会などが、憲法改正の手続きを経ることなく、憲法の条項に対する解釈を変更することによって、憲法の意味や内容を変えること。

大辞林 第三版の解説
かいしゃくかいけん【解釈改憲】
正規の手続によって憲法を改めるのではなく,条文の解釈を改めることで,事実上,規定の内容に,改正された場合と同程度の変更が生じること。変更された解釈が一般に認められるようになった場合を憲法の変遷という。 → 憲法の変遷

 ② 野党、強制採決は認められない言語道断の暴挙

安保法案、野党5党は採決に加わらず衆院通過

2015年07月16日 14時50分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

集団的自衛権の限定的な行使を可能にすることなどを柱とした安全保障関連法案は16日午後、衆院本会議で採決され、自民、公明、次世代各党などの賛成多数で可決した。

民主、維新、共産、生活、社民の野党5党は採決に加わらなかった。16日に衆院を通過したことで、参院が議決しなくても衆院の出席議員の3分の2以上の賛成で再可決できる「60日ルール」が適用できるため、9月27日までの今国会での成立が確実となった。

16日午後の衆院本会議では、安保関連法案採決前に各党による討論が行われた。自公両党は賛成の立場を表明、民主党の岡田代表、維新の党の松野代表、共産党の志位委員長は反対の立場を表明した。

討論で岡田氏は「戦後日本の民主主義にとって大きな汚点だ。いま首相がなすべきことは、政府案が国民の理解を得ることができなかったことを率直に認め、直ちに撤回することだ。それしか道はない」と強調した。松野氏は「国民の理解が得られていない中、審議を打ち切り、強行採決を行ったことは言語道断の暴挙だ」と政府・与党の対応を批判した。

討論後、民主、共産、社民各党は退席し、維新は自ら提出した対案が否決された後に退席した。生活は本会議を欠席した。

安保関連法案は5月26日に審議入りし、衆院平和安全法制特別委員会で計約116時間の審議を経て、7月15日に与党単独で可決された。15日の特別委では、「議論が尽くされていない」として民主、維新、共産の野党3党が採決に加わらず、民主党議員らが委員長席に詰め寄って抗議するなど議場が騒然とする中で採決が行われた。

安倍首相は16日午後の衆院本会議前の自民党代議士会で、「戦争を未然に防ぐため、国民の命を守るために必要な法案だ。国民の理解を深めるために頑張っていこう」と呼びかけた。公明党の山口代表は16日午前の党中央幹事会で「さらに国民の理解を広げるために、より丁寧でわかりやすい議論に努めたい」と語った。

安保関連法案は、自衛隊法など10の現行法改正案をまとめた「平和安全法制整備法案」と、自衛隊を随時海外に派遣できるようにする新法「国際平和支援法案」の2本立てとなっている。昨年7月に閣議決定した「武力行使の新3要件」に基づき、集団的自衛権が行使可能となる「存立危機事態」を新たに規定した。また、新法は自衛隊を海外に派遣する際、その都度特別措置法を定める必要をなくす「恒久法」(こうきゅうほう)とした。
③ 一方、集団的自衛権の行使は必要であるとの声も

青山繁晴氏 : 集団的自衛権を認めなければ、日米安保も解消し国連からも脱退しなければならなくなる。

※賛成、反対、それぞれ言い分があります。したがって、どちらが正しいかを考えるのは皆様お一人お一人です。どの考え方が、国の安全、安心を作り出すのでしょうか。みなさんはどちらの意見に希望が持てますか?

※しかし、わたしたちはクリスチャンです。ならば、私たちはクリスチャンとして答えを見出していかなくてはなりません。

 

Ⅱ. 神の言葉に答えをみいだす

 ①み言葉の原則

1ペテロ 2:13-17

「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、 2:14  あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。 善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。 自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。 すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい。」

マタイ 6:31-34

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 」

 教会への勧告下357,358

「われわれの上には支配者として任命された人びとがあり、また国民を統制する法律がある。これらの法律がなかったならば社会状態は今日よりももっとひどかったであろう。これらの法律の中には善いものも悪いものもある。悪いものが数を増して来ているから、われわれはそのうちに困難な立場に立たせられる時が来る。しかし神は、ご自分の民が確固としてみ言葉の原則に従って行動するように支持してくださるのである。」

 クリスチャンの奉仕232

「当時から福音教会の創始者や、神の証人たちにより何世紀もの間、かかげられてきた真理と宗教自由のみ旗は、この最後の闘争において、われわれの手にゆだねられている。この大きな賜物に対する責任は、神がみ言葉を知る知識を与えたもうた人々の上にかかっている。われわれはこのみ言葉を至高の権威として受け入れねばならない。われわれは人間の政治を神が任命された条令として認め、その正当な範囲内において神聖な義務としてそれに従うよう教えねばならない。しかしその主張が神の主張に相反する場合、人々よりむしろ神に従わねばならない。神のみ言葉は、人間のどんな法律より上位のものと認められねばならない。「主はこう言われる」ということは、「教会はこう言う」とか「国家はこう言う」ということでわきにのけられてはならない。キリストの冠は、地上の主権者の王冠の上にかかげられるはずである。」

 教会への勧告下358

「国家の法律は、神がシナイからはっきり聞えるみ声をもって語り、後に御自身の指で石の上に刻まれた、より高い律法に反しない限り、どんな場合でも服従することがわれわれの義務であることをわたしは示された。「わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民となるであろう。」心に神の律法が書いてある者は人間よりもむしろ神に従う。そして、わずかでも神の律法からそれるよりはむしろすべての人間の命令にそむくことを選ぶ。真理を霊感によって教えられ、神のすべてのみ言葉によって生きるよう良心に導かれている神の民は、その心に書かれた神の律法を、自分たちが認めることができまた従うことができる唯一の権威として信じる。神の律法の知恵と権威に並ぶものはない。」

②キリストはどうされたか

 各時代の希望中315

「イエスの在世当時の政治は堕落していて、圧制的であった。棄てておけない悪弊―搾取、偏狭、暴虐な残酷さがいたるところにみられた。それでも救い主は、社会改革を試みられなかった。主は国民の悪弊を攻撃したり、国民の敵を非難したりされなかった。主は、権力者たちの権威や行政に干渉されなかった。われわれの模範であられたおかたは、現世の政治から遠ざかっておられた。それは、主が人々の不幸に対して無関心であられたからではなく、これを救う方法がただ人間の外面的な手段にはなかったからである。効果があるためには、救済策は個人に及び、心を生まれかわらせねばならないのである。」

 「キリストのみ国は、法廷や会議や立法議会などの決定や、世俗的に有力な人たちの後援によってではなく、聖霊の働きを通して、キリストの性質が人間性のうちにうえつけられることによって、建てられるのである。「彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである」(ヨハネ1:12,13)。ここに人類を高めることのできるただ一つの力がある。そしてこの働きをなしとげるために人間のできることは、神のみことばを教え、実行することである。」

※ 真の安全と平和を望むのならば
1.神の国は、聖霊の働きを通して、キリストの性質が人間性のうちにうえつけられることによって建てられる。心が清められることがどうしても必要である。
2.近い将来、神の戒めを第一とする者たちが危機的な状況に追い込まれる時が来る。その危機の時にも信仰を働かせて神の戒めに従うことが必要である。