主にある平和と平安

スタディバイブル旧1113
「私は我が民に、エゼキエル書28章を学ぶよう要請する。ここでの描写は、主として堕落天使ルシファーに当てはまるとはいえ、更により広い意味を持っている。一つの存在だけではなく、全般的傾向が述べられていて、我々はそれを目の当たりにするのである。この章を忠実に学ぶなら、神が民にお与えになったすべての光の中を歩もうと真理を探求している者たちを、これら最終時代の惑わしに欺かれないように導くであろう。」(Special Testimonies,  Series B,  No.17 p30)

ヨブ22:21
「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」

ミニストリー・オブ・ヒーリング224
「平安とは、キリストがご自身から離して別なものとして与えられたものではなく、キリストの中にあるものであって、わたしたちがキリストを受け入れることによって、初めてそれを受けることができる。」

大争闘下195
「神と和解する第一歩は、罪を認めることである。」

青年への使命413
「この世における幸福、平安、喜び、成功はすべて、神に寄り頼む真の信仰があるか否かで決定します。」

患難から栄光へ下267
「神の戒めに従おうと努めながら、喜びや平安のない人が多い。彼らの経験に喜びや平安が欠けているのは、信仰を働かさないからである。彼らはあたかも、塩の土地や焼けつく荒野を歩いているかのようである。彼らは多くのことを求めることができるのに、ほとんど求めない。神の約束には制限がないのである。このような人たちは、真理に従うことによって与えられるきよめを正しく示していない。主はご自分のむすこ、娘たちのすべてを幸福で、平和にみち、従順なものにさせて下さる。信者は信仰を働かせることによって、これらの祝福を受けるようになる。信仰によって、品性の欠陥がすべて補われるのであり、すべての不潔なものがきよめられ、欠点がなおされ、長所がのばされるのである。」

エペソ6:11-18
「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」

SDA聖書コメンタリー第5巻1132 E・G・ホワイト注
「カルバリーの十字架上のキリストの死は、この世におけるわれわれの唯一の望みであって、それは来たるべき世において、われわれのテーマとなる。…ご自分の愛するみ子という神の賜物は、計り知れない愛の表現であって、それは、神がご自分の面目を保ちながら、なお罪びとを救うことがおできになる、ぎりぎりの線であった。」

イザヤ53:5
「彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」