主にある喜び

イザヤ58:13、14
「『もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う』。これは主の口から語られたものである。」

各時代の希望上133
「サタンとの最後の大争闘において、神に忠実な者は、この世の一切の支持がたたれるのを見る。彼らは地上の権力に従うために神の律法を破ろうとしないので、売ることも買うことも禁じられる。ついには、彼らを殺せとの布告が出される(黙示録 13:11―17参照)。しかし忠実な者には、『このような人は高い所に住み、堅い岩はそのとりでとなり、そのパンは与えられ、その水は絶えることがない』との約束が与えられている(イザヤ33:16)。

この約束によって神の子らは生きるのである。この地上がききんに荒らされる時、彼らは養われる。『彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる』(詩篇37:19 )。預言者ハバククは、その艱難の日を予期したが、彼のことばは教会の信仰を表わしている。『いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ』。」(ハバクク 3:17、18)。

大争闘下207
「キリスト者の生涯は、謙遜がその特徴であるが、悲しみや自己を卑下する気持ちがあってはならない。神に受け入れられ祝福されるような生活をすることは、すべての者の特権である。……。キリスト者の生活は、信仰と、勝利と、神にある喜びとの生活でなければならない。『なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である』(Ⅰヨハネ5:4)。神のしもべ、ネヘミヤが、『主を喜ぶことはあなたがたの力です』と言ったのは至言である(ネヘミヤ8:10)。パウロも言っている。『あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。』『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである』(ピリピ4:4、Ⅰテサロニケ 5:16-18)。」

エゼキエル33:11
「あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。」

ミニストリー56
「福音は生命のない理論としてではなく、生涯を変化させる生きた力として与えられなければならない。神は人間が、神の恵みによって、キリストのような品性を得、その大きな愛の確証を得て、喜ぶことができる事実を証しするように、僕たちに望んでおられる。」