アドベンチズム

*霊感の言葉*

【福音の成就における人間の側の役割】
直接的であろうと間接的であろうと、“行い”に関してアドベンチストが混乱するときは、いつでもはなはだしい害をもたらした。ある者たちがアドベンチズムの矛盾として槍玉に挙げる点、そしてほとんどのプロテスタントも反論している点、それは、福音の成就における人間の側の役割についてである。福音とは神からの無償の賜物であって、人間のそのような努力を要求すべきではないとする点におい て、我々は正しい理解をもつ事が大切である。

【法律の二大原則】
それは一見、矛盾した複雑な問題であるかのようだが、もし人が停止条件と解除条件という法律の二大原則を理解するなら、容易に答える事が出来る。

【にせ物―停止条件】
例として挙げられるものとしては「大学に合格したら、腕時計を買ってあげる」という約束がある。
この場合、「腕時計を買ってあげる」という法律行為が、「大学に合格したら」という仮定の条件によって停止されている、ということになる。

停止条件というのは、人が資産を受け継ぐ前に課せられる条件で、その権利が付与されるためには決められた条件を満たさなければならない、というものである。これは宗教でいえば真の福音のにせ物であり、人間の間に最も多く広まっている宗教のタイプである。全ての異教はこの概念から起っており、人身御供がその極端な例である。キリスト教において求められる唯一の条件は信仰であり、完全な信仰は自分の意志をすべて愛の神に委ねるようになる。

【ほん物―解除条件】
例)「代金支払いが滞った場合には、買った物を返還する」という場合、「代金支払いが滞る」という事実が解除条件である。

一方、解除条件は、前者に似ているように見えるが、どのように使用されるかで非常に異なる。この場合、資産は 何の行為の要求もなしにすぐに移行されるが、それもまた 条件付であり、移行された後に満たさねばならない条件がある。たとえば、ある人がそれをアルコール飲料販売に用いないことを条件に、隣人に土地をあげたとする。もしその隣人が条件を破るなら土地は元の贈り主に返される。この法律が、救いの計画はどのようになされるかというよい見本である。贈り物はただである。その新しい地主は決してそれを「自分で稼いだ」とは言えない。しかしそれが与えられた条件を破るならば、彼はそれを所有し続ける事は出来なくなる。

「ある者たちは我々の善行を通して神よりの恩寵を期待するのは、我々自身を誇っているようなものだと言うかもしれない。確かに我々は自分達のよい行いによっては、一つの勝利さえ得る事は出来ない。しかしそれなくして、我々が勝利者となる事はあり得 ない。・・・宗教上の全ての危機において誘惑に屈する者たちが出る。神のふるいは大群衆を枯れ葉のように吹き散らす。―エレン・ホワイト/Testimonies, vol.4, p89.

アドベンチズムの骨子に刻み込まれた清い生活という概念は、消せるものではない。アドベンチズムは世に対する 最後の警告のメッセージを持つと主張してきたが、それは単なる言葉よりも遥かに勝って生活態度によって示されるものだった。「あなた方は世の光である」とキリストは言 われた。「そのようにあなた方の光を人々の前に輝かし、そして人々があなた方のよい行いを見て、天にいますあなた方の父をあがめるようにしなさい。」

もし神の民がこれ程多くの光を与えられても、間違った習慣を大切に守り、自分の欲望を満たし、改革することを拒むならば、違反の結果に確実に苦しまなければならない。もしも彼らが、どんな犠牲を払ってでも誤った食欲を満たそうとするならば、神はその放縦の結果から、奇跡的に彼らを救うことはなさらない。彼らは「苦しみのうちに伏し倒れる」(イザヤ50:11)のである。

神が備えておられる健康と霊的な賜物の豊かな祝福を、どんなに多くの人々が失うことだろう。何か偉大なことをするために、特別な勝利と特別な祝福を求めて、苦闘をしている魂がたくさんある。
こういう目的のためには、祈りと涙とをもって、苦しい戦いをしなければならないと、彼らはいつも思う。
これらの人々が、表された神のみ心を知るために、祈りをもって聖書をしらべ、そして無条件に、またわがままを捨てて心から神のみ心を行う時に、平安を見出すのである。
どんなに苦悶し、涙を流して戦っても、その苦しみは、彼らが切望する祝福をもたらしはしない。
自己を完全に委ねなければならない。
彼らは、信仰をもって求めるすべての人に約束されている、神の豊かな恵みを自分のものにして、当面する働きをしなければならない。

―教会への勧告、第4編5章「衛生改革に忠実であること」