もう時がない

大争闘下巻339-341
「ローマ教会の抜け目なさと狡猾さには驚くべきものがある。この教会は、何が起こるかを読みとることができる。法王教は、プロテスタント教会が偽りの安息日を承認して忠順を表わしていることや、過去に法王教自身が用いたのと同じ手段で、プロテスタント教会がそれを強制する 準備をしていることを見て、時機を待っている。真理の光を拒む者たち が、ローマ教会が起こした1つの制度をあがめるために、この無謬を自称する権力の助けを求める時が来るであろう。ローマ教会がこの働きにおいて、すぐプロテスタント教会に助けの手をさしのべるであろうことは、想像にかたくない。教会に服従しない者をどう取り扱うべきかを、 法王教の指導者たち以上によく知っている者はいないであろう。

ローマ・カトリック教会は全世界にわたって根を張り、法王庁の支配 下にあってその利害に役立つよう計画されている一大組織を形成している。全世界のあらゆる国において聖餐にあずかる幾千万の者たちは、 法王に対する忠誠を堅く保つように教えられている。国籍や政府がどう であろうと、彼らは教会の権威をほかのいっさいのものの上にあるものとみなさなければならない。彼らは国家に忠誠を誓うかもしれないが、 その背後には、ローマに対する服従の誓約があって、教会の利益に反する場合には、国家に対するどんな誓いも破ってもよいことになっている。

歴史は、教会がたくみに根気よく国事に入り込む努力を続け、一度足場を得てしまうと、王侯や人民を破滅させてでも教会自身の目的を進めることを証明している。1204年に、法王インノセント3世は、アラゴン王ペドロ2世にむりやり次のような異常な誓約を強制した『わたくしアラゴン王ペドロは、わが主なる法王インノセント及びその正統なる後継者並びにローマ教会に対して、絶えず忠実かつ従順であること、また、カトリックの信仰を擁護し、異端に堕落した者を迫害して、法王に対するわが国の服従を保つことを、ここに明言し、約束する』。この ことは、『法王が皇帝を廃することは合法である』、『法王は不正な統治者の臣下には、その王に対する忠誠を免ずることができる』、という法王権に関する主張と一致している。

また、ローマ教会は決して変わらないということがこの教会の自慢の種であることを忘れてはならない。グレゴリー7世やインノセント3世の主義は、今なおローマ・カトリック教の主義である。そして教会がも しひとたび権力を持つならば、過去の場合と同じ勢力をもって、その主義を行動に移すであろう。プロテスタントが日曜日をあがめる運動において、ローマ教会の助けを受け入れようと企てる時、彼らは自分たちのしていることがわからないのである。プロテスタントが自分たちの目的の達成に夢中になっている間に、ロ ーマ教会は、その権力を再び確立して、失われた至上権を回復することをねらっているのである。教会が国家の権力を用いたり、支配したりす るような、また宗教上の制度が国家の法律によって強制されるような、 すなわち、教会と国家の権威が良心を支配するような、そのような原則 が米国にひとたび確立されるならば、この国におけるローマ教会の勝利は確実なものとなる。

神のみ言葉はこのさし迫った危険について警告を与えてきた。これが顧みられないならば、プロテスタントの世界は、ローマ教会の目的が実際に何であったかを知った時には、もはや手遅れになってそのわなを逃れることができないであろう。ローマ教会は黙々としてその勢力をのば しつつある。その教えは議会に、教会に、また人々の心に影響を及ぼしている。法王制は堂々たる大建造物を築き上げているが、その奥まった 部屋では昔の迫害がくり返されるであろう。自分が手を下す時が来たら自分自身の目的を押し進めるために、教会は、ひそかに、そしてあやしまれないように、勢力をのばしつつある。この教会が何よりも望むものは、有利な立場である。そしてこれはすでに教会に与えられつつある。 われわれはローマ教会の真の目的が何であるかをまもなく見、かつ感じるであろう。神のみ言葉を信じ、それに従うものはだれでも、そのことによって非難と迫害を受けるであろう」。