ちりから造られた人間

詩編 103:14
「主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。」

サムエル上 2:8
「貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。・・・」

黙示録 1:6
「わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。」

イザヤ43:7
「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。」

詩編115:1
「主よ、栄光をわれらにではなく、われらにではなく、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、ただ、み名にのみ帰してください。」

黙示録15:3—4
「彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、『全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。 主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります』」。

黙示録 14:1
「なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。」

エレミヤ33:14—16
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。 その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。」

SpTA09 62.2
「信仰による義とは何か。それは人の栄光を塵にして、自分自身では何もできない人に代わってなされる神の御業である。人が自らの無価値を見る時、彼はキリストの義をもっておおわれる準備をするのである。人間が昼も夜も神をほめたたえ、あがめる時、眺めることによって、彼らは同じ姿に変えられる。新生とは何か。それは人に自分の本当の性質が何であるかを明らかにし、自分が無価値であることをその人の内に示すことである。」

大上208, 209
「教会を改革する器を選ぶに当たっては、教会を設立する際と同様の神のご計画が見られる。・・・無学で苦労して働くガリラヤの漁夫たちに、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』という召しが与えられた(マタイ4:19)。この弟子たちは、謙そんでよく聞き従う人々であった。その時代の偽りの教えに影響されていなければいないほど、キリストが彼らをご用のために教え訓練することが成功を収める。大宗教改革の時代でもそうであった。主な宗教改革者たちは低い身分の出で、その時代の地位の誇りや頑迷さ、聖職者たちの政策などから最も縁遠い人々であった。卑しい器を用いて大きな業績を完成することが神のご計画である。そうするならば栄光は、人間たちではなくて、彼らに願いを起こさせてそれを実現に至らせ、神のみこころを行なわせられた神に帰せられるのである。」

大下180, 181
「このような議論に反論するには、ただ聖書の教えと、各時代において主がご自分の民を扱われた歴史とを引用すればよかった。神は、神の声を聞いて従う者、必要ならば俗受けのしない真理を語る者、広く行なわれている罪を譴責することを恐れない者を用いて働かれる。・・・知恵の根源である神と個人的につながっている者だけが、聖書を理解し説明することができる。学校教育をわずかしか受けていない人々が、真理を宣言するために召されることがあるが、それは彼らが無学であるためではなくて、自分に頼らずに神から教えを受けるからである。彼らは、キリストの学校で学び、その謙遜と服従が、彼らを偉大にするのである。神は彼らに、神の真理の知識をゆだねて、彼らに栄誉をお与えになる。それに比べるならば、地上の栄誉や人間的偉大さは、とるに足りないものなのである。」