あなたは、罪の自覚がありますか?」

*霊感の言葉*

キリストの実物教訓132
「パリサイ人と取税人とは、神を礼拝するために来る2種類の人を代表している。そして、その人々を、この世界に生まれてきた最初の2人の子供たちがよく代表している。カインは、自分を義であると考え、感謝のささげ物をもってきただけであった。カインは、罪の告白をしなかった。彼は憐れみの必要も認めなかった。ところが、アベルは、神の小羊を予表した血をもってきた。アベルは、自分が罪人であり、失われた人間であることを認めて神のところにきた。彼の何よりも望んだものは、なんのいさおしもなくして与えられる神の愛であった。 神はアベルのささげ物をお受け入れになったが、カインとカインのささげ物は、お認めにならなかった。神に受け入れられる第1の条件は必要感をもつこと、つまり、自分の欠乏と罪とを自覚することである『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである』(マタイ5:3)。」

キリストの実物教訓137,138
「『もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。』『ただあなたは自分の罪を認め、あなたの神、主にそむい』たことを言いあらわせと、主は言われる。『わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める』(Ⅰヨハネ1:9、エレミヤ3:13、エゼキエル36:25)。しかし、わたしたちが罪を許され、平和を与えられるためには自分を知らなければならないつまり、わたしたちを悔い改めに至らせる知識がなければならないパリサイ人には、罪の自覚がなかった。聖霊は、彼を動かすことができなかった。パリサイ人の魂は、自分の義というよろいをまとっていたので、天使の手が放つ鋭い矢も、それをさし通すことができなかった。キリストは、罪人であることを自覚した人だけをお救いになれるのである彼は、『囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ』るために来られたのである(ルカ4:18)。

しかし、『健康な人には医者はいらない』(ルカ5:31)。わたしたちは、自分たちの真の状態を知らなければならないそうでなければ、キリストの助けが必要なことを感じないことであろう。わたしたちは、自分たちの危険について知らなければならない。そうでなければ、避難所にのがれることもないことであろう。わたしたちは自分たちの傷の痛みを感じなければならない。そうでないと、いやしを求めないことであろう。」

希望中255
「神に献身しようとしない魂はみな、別の権力の支配下にある。彼は彼自身のものではない。彼は自由を口にするかも知れないが、最もあわれむべき奴隷状態にある。彼の心はサタンの支配下にあるので、真理の美しさを見ることがゆるされない。彼は、自分自身の判断の命令に従っているとうぬぼれているが、実は暗黒の君の意思に従っているのである。キリストは、魂を罪の奴隷の束縛から切り離すためにこられた。『だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである』(ヨハネ8:36 )。『キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、』われわれを『罪と死との法則から・・・・・・解放』するのである (ローマ8:2 )。」

「あがないの働きに強制はない。外部からの圧力は用いられない。神のみたまの影響下にあって、人はだれに仕えるかを自由に選ぶことができる。魂がキリストに屈服する時に行われる変化の中に、最高の意味の自由がある。罪を追い出すことは、その魂自身の行為である。なるほどわれわれは、サタンの支配からわが身を解放する力はない。だが罪から解放されたいと望み、非常な必要を感じて、われわれ以外の、そしてわれわれ以上の力を求めて叫ぶ時、魂の能力には聖霊の天来の力が吹きこまれ、その能力は神のみこころを成就することにおいて意思の命令に従うのである。」

詩編34:18
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれたものを救われる。」