第15課 預言による世界国家の出現

はじめに

だれもが平和を求めているのに、世界は波立ち騒いで、一向に静まる気配はありません。こんな状態では、永遠の平和世界実現など到底期待できそうにないのが実情です。
しかし、聖書にはたしかな希望が約束されています。それはキリストの再臨です。その時に、人間が実現できなかったことを、神が実現してくださると聖書は告げているのです。
それは、いつ、どのようにして、なされるのでしょうか。神は今から二五〇〇年も前に、預言者ダニエルをとおして、われわれ人類に、それをあきらかに示してくださっています。

世界国家の出現に関する聖書の預言

まず、この預言が与えられた経緯についてご説明いたしましょう。
いまから約二五〇〇年もの昔のこと、いまのイラクの国が当時バビロン帝国とよばれて大いに栄えていました。この国を治めていたのは有名なネブカデネザルという王様でした。
そのころ地中海のほとりに、天地創造の神を信じ、この神に仕えている特異な国がありました。ユダというユダヤ人の国です。この国の民は先祖アブラハムの信仰のゆえに、神から選ばれた特別の民でしたが、かれらは神に対して不忠実かつ不従順であったため、神からの懲らしめを受け、異教国バビロンによって滅ぼされています。その結果、王をはじめ、この国の指導者層が人質としてバビロンに連行されたのでした。そのなかに、まだ少年であったダニエルと同輩の者たちが何人かいたようです。
ネブカデネザル王は、この少年たちを宮中に召して、特別の教育をほどこすことにしました。それは将来、自分の側において王の事務を執らせる目的であったようです。
約三年ほどの教育期間を終えたとき、王はこの少年たちの成長ぶりを確かめるため、テストを行いましたが、その結果について、聖書は次のように記しています。
「この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。さて、王が命じたところの若者を召し入れるまでの日数が過ぎたので、宦官の長は彼らをネブカデネザル王の前に連れていった。王が彼らと語ってみると、彼らすべての中にはダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤにならぶ者がなかったので、彼らは王の前にはべることとなった。王が彼らにさまざまの事を尋ねてみると、彼らは知恵と理解において、全国の博士、法術士にまさること十倍であった」(ダニエル書一ノ一七〜二〇)。

このようにして、ダニエルとその同僚は、王のそばにあって、宮仕えをすることになりました。

王が神から与えられた夢

それからしばらくして、王はある夜不思議な夢を見せられました。それは、別表図にみるような巨像が目の前に聳え立っている光景でした。(ダニエル書二章を参照)。
その像は、頭は純金、胸と両腕は銀、胴は青銅、脚は鉄、足先は鉄と土の混じり合ったもので、できているものでした。
王がその像を見ていると、突如、大きな石がどこからか転がってきてこの像にぶち当たり、そのため像は粉々に砕けて、もみがらのように風に吹き飛ばされ、すがたが消えてしまいました。するとその転がってきた石は、みるみるうちに大きな山となって全地に満ちたというのです。(ダニエル書二ノ三四、三五)。
このような夢を見た王は、驚愕のあまり、ふたたび眠ることができなくなりました。そのため彼は、全国の博士、法術士、魔術士など世の神秘的なことに通じている人々を召し集めて、彼が見た夢の説き明かしを命じたのです。彼らは王のみた夢の内容について、その説明を求めました。しかし王は、わたしのみた夢がどんな夢であったのかを、まず言い当てて見よといったのです。

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これは一見、無理難題をふっかけているようにも思われますが、じつは彼らは常日ごろ、自分たちはどんな秘密や神秘でも見通すことができ、言い当てることができると広言していたのです。しかし実際は、結果がどちらになってもうまく当てはまるような答えを案出することに長けていたに過ぎなかったのでした。
ですから、かれらはまず夢がどんなものであったのか、それを聞かないうちは説き明かしなどできはしなかったのです。こうして、日頃の広言が嘘であることが暴露してしまったわけです。
その結果、ある者の進言により、ダニエルが代わって説き明かしを求められることになったのでした。彼は真の神の預言者ですから、祈りによって神から夢の内容と、その意味の説き明かしを示され、王にそれを告げています。(ダニエル書二ノ三六〜四五を参照のこと)。
王は、ダニエルの口から王の見た夢がどんな内容であったのか、その説明を聞いて、彼がたしかに神の預言者であることを認めました。そのため、絶対の信頼を持って夢の説き明かしに耳を傾けたのでした。

ダニエルの説明は次のようなものでした。
「王が夢の中で見た像は、世界歴史を象徴するものです。まず、純金の頭の部分はあなたの治めているこのバビロンの国を指しています」。
これを聞いた王は、どんなにか喜んだことでしょう。自分の治めている国が、頭、しかも純金で表されている以上、この国は未来永劫に富み栄えるものと期待したにちがいないからです。しかし、ダニエルはつづいてこう説明しています。
「あなたの後にあなたに劣る一つの国が起こります」。
これを聞いた王は愕然としたにちがいありません。一時喜んだのも束の間、恐怖と絶望のあまり、さぞおののいたことでしょう。
ダニエルの説明はなおもつづきます。
「また第三の国が起って、全世界を治めるようになります。第四の国は鉄のようで、すべての物を打ち砕き、世界は分裂してバラバラになる」というのです。
では、この預言は、はたしてそのとおりになったのでしょうか。これから、歴史を振り返りながら、それを確かめてみることにしたいと思います。

純金の頭―バビロン

「あなたはあの金の頭です」(ダニエル書二ノ三八)。
王が夢の中で見た巨像の頭の部分、これは王の治めているバビロンを指すというのです。この解き明かしを聞いた王は、どんなに喜び、また満足したことでしょう。自分の治めている国が、金の頭によって象徴されていたのですから。
バビロン帝国が建国されたのは、紀元前六〇五年とされています。この国は多くの富を持ち「バビロンは金の杯」(エレミヤ書五一ノ七)また「金を履いた都」などと呼ばれていました。
この国には、ベルとマルドクという偶像の神が祭られていましたが、これらは金で作られており、その前に置かれていたテーブルも金でできていたといわれています。
しかし、この国は長くはつづかず、ダニエルの預言のとおり、終りが近づいていました。ペルシャのクロス王が攻めてきて包囲したのです。けれども、バビロンの人々は少しも恐れませんでした。なぜなら、都市国家であるバビロンは城壁を以て囲まれていましたが、その城壁の高さは九〇メートル、厚さは一八メートルもあって、戦車がその上を何台も自由に駆け回ることができたといわれています。しかも、その城内には二〇年分の食料が蓄えられていましたので、だれもが難攻不落を誇っていました。

ところが、クロス将軍は軍略によって、たちまちこの国を滅ぼすことに成功しています。このバビロン城は、街の真ん中をユフラテス川が貫流していたのですが、彼は人工的河川を作ることによって、ユフラテス川の水を砂漠に流してしまったのです。そのうえで、干した川床をつたって軍隊を城内に忍び込ませました。しかし、川で二分されている街はそれぞれ川に沿って城壁が築かれておりましたので、外壁をくぐって中に入れても、内壁から街に入ることは不可能であったはずです。が、川で二分された街は橋でつながれており、橋の両端に鉄の門扉が築かれていました。これは中から開けないかぎりだれも城内に入ることはできないようになっていたのです。
ところが、その晩は城の中で大宴会が開かれており、酒に酔った門番が閂をかけ忘れていたため、クロスの軍隊はやすやすと城内に入ることができ、こうして戦わずに、一夜にして占拠することができたのでした。
しかしこのことは、すでに一五〇年も前に、預言者イザヤによって預言されていたのです。
「また淵については、『かわけ、わたしはあなたのもろもろの川を干す』と言い、また、クロスについては、『彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、…
わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王の腰を解き、とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない、と言われる主はその受膏者クロスにこう言われる。『わたしはあなたの前に行って、もろもろの山を平らにし、青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう…
わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない』」(イザヤ書四四ノ二七、二八、四五ノ一〜五)。
これは、バビロン滅亡の二〇〇年も前の預言なのです。しかもここに、クロスの名があげられています。神はクロスの生まれる一五〇も前に、その名をあげて預言しておられたことになります。そのうえこのクロスがバビロンを陥落する方法や光景まで示しておられる。そしてこれは、わたしがまことの神、唯一の神であることを知らしめるためだとも言っておられます。
聖書のここを読んで、預言にたいする不信が消え、神を信じた著名な学者もいるほどです。
このバビロン大帝国がペルシャによって滅ぼされたのは、紀元前五三八年のことでした。

銀の胸と腕―ペルシア

「あなたの後にあなたに劣る一つの国がおこります」(ダニエル書二ノ三九上句)。
この解き明かしを聞いた王は、喜びの束の間、きっと愕然と色を失ったにちがいありません。では、バビロンの次に現れる国とは、どんな国でしょうか。それはペルシア帝国です。
ところで、ペルシアを預言的に象徴する巨像の胸の部分には、両腕があります。これもまた驚くべきことです。なぜなら、バビロンを倒したのは、メディアとペルシアの連合国であったからです。最初メディアが有力でしたが、のちにクロスの率いるペルシアによって統合されていますが、バビロンを倒したのは、メディアとペルシアの協力によるものでした。
なおペルシアは、税金も商取引もすべて銀で行われていました。この点においても、預言の象徴は適切であり、その成就は驚くべきものと言うほかありません。

青銅の腹と腿―ギリシア

「また第三に青銅の国が起こって、全世界を治めるようになります」(ダニエル書二ノ三九下句)。
ペルシアの次に現れた国は、ギリシア帝国です。ギリシアといえば、アレキサンダー大王を思い浮かべられるかたが殆どではないかと思います。彼は紀元前三三一年、アルベラの戦いにおいてペルシアを滅ぼしていますが、このときギリシアは二〇対一、二〇倍もの大敵を打ち破って勝利しているわけです。
アレキサンダーは、インドにまで征服の足をのばしていますが、これはいわば、当時の世界を支配したも同然でした。預言には「第三に青銅の国が起こって、全世界を治めるようになります」とありますが、まさに文字通りの成就というほかありません。
彼は三二歳の若さで死んでいます。なんでも三升七合八勺もの酒を飲んで、発熱し、それが原因で死を招いたともいわれています。
ギリシアの兵士は、青銅の盾、青銅の兜、青銅の胸当てで身をよろい、青銅の剣を帯びていたといわれますが、これもまた預言の象徴は、まことに適切でふさわしい象徴というほかありません。
アレキサンダーの死により、ギリシアは彼の四人の部下によって四分割されていますが、紀元前一六八年、ピドナの戦いでローマ軍によって滅ぼされています。

鉄の脚―ローマ

「第四の国は鉄のように強いでしょう」(ダニエル書二ノ四0)。
預言による第四の国というのは、いうまでもなく世界を制覇したローマ大帝国です。
預言によれば、ローマは鉄によって象徴されていますが、歴史家ヒッポリタス(A・D・一七〇〜二三六)は、「喜べ、ダニエルよ、あなたに誤りはありえない。すでに世界は鉄によって治められている」と叫んだといいます。
また、『ローマ帝国衰亡史』の著者として世界的に著名な英国の歴史家ギボンは、この預言とは関係なしに、ローマを「鉄の国ローマ」と呼んでいますが、これもまたダニエルの預言の象徴が的確に成就したということが言えそうです。
しかし、このローマも、西ローマと東ローマに分裂し、西ローマが先に滅び、東ローマも五世紀の終り頃までに、諸方から攻め込んできた蛮族によって分割統治され、姿を消してしまっています。

鉄と粘土の足先―分裂した国々

「あなたはその足と足の指を見られましたが・・・それは分裂した国を刺します」(ダニエル書二ノ四一)。
なおネブカデネザル王が夢に見た巨像は、脚の部分で終わってはいませんで、さらに足先は鉄と粘土の混じった形になっていました。これはローマが分裂することを意味しています。
そのように、ローマは一〇か国に分裂し、その中には滅亡して今は存在しない国も二、三ありますが、ほかはドイツ、フランス、スイス、ポルトガル、イギリス、スペイン、イタリヤ、といった国々として残っています。

統一の企て―結婚政策

「あなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、それらは婚姻によって互いに混ざるでしょう」(ダニエル書二ノ四三)。
ダニエルの預言によれば、分裂したこれらの国はもう一度一つになろうとして、統一を企てると言うのです。事実、シャーレマン、カール五世(神聖ローマ皇帝)ルイ一四世、ナポレオン、ヒットラーなど、武力によって統一を実現しようとしましたが、だれも成功しませんでした。
注意したいのは、次の預言です。ダニエルはネブカデネザル王に言っています。
『あなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、それらは婚姻によって、互いに混ざるでしょう』。
これも歴史上、たしかにそのようなことが行われています。それは結婚政策による統一の企てです。デンマークのクリスチャン九世のこどもたち、英国のビクトリア女王のこどもたちが、それぞれヨーロッパの他の国々に皇室同志の国際結婚をしています。こうして英国、ギリシャ、ロシヤ、ノルウエー、ドイツ、スペイン、オーストリヤは親戚関係になっています。それにもかかわらず、第一次・第二次世界大戦に見るように、これらの国々は敵味方となって争っており、結婚政策によって策された親善関係も、破綻に終わってしまっています。なぜでしょう。それは、つぎのように預言されていたからです。
「しかし、鉄と粘土とは相混じらないように、かれとこれと相合することはありません」。
これは、預言されていたことの成就に他ならない、という以外に、だれも何もいうことはできないでしょう。

像を撃って砕いた石は?

「その像を撃った石は、大きな山となって全地に満ちました」(ダニエル書二ノ三五)。
巨像の脚によって象徴されているローマ帝国が分裂して滅び、その分裂した国々はふたたび「相合することはない」(ダニエル書二ノ四三)という。そうすると、この分裂した世界はこれから先どうなるのでしょうか。
ネブカデネザル王は、夢の中で世界歴史を象徴する巨像を見ていたとき、一つの石が人手によらずに切り出されてきてこの像を粉々に粉砕した。これは世界歴史の滅亡の預言です。
その後この石は見る見るうちに大きくなり全地に満ちたとある、これは何を意味しているのでしょうか。
「それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることなく、その主権は他の民にわたされず…そしてこの国は立って永遠に至るのです」(ダニエル書二ノ四四)。
とダニエルは説き明かしを述べています。
しかもダニエルは、「大いなる神がこの後に起こるべきことを、王に知らされたのです。その夢はまことであって、この説き明かしは確かです」と言っています。
永遠に至る平和な国、これは人類がながいあいだ夢見、これが実現のために努力してきた理想世界です。それが近々実現するというのですが、注意すべきは「人手によらずに」とあることです。これは人間の政治や軍事力によるのではなく「天の神が立てられる国」であるというのです。そのうえ「これはいつまでも滅びることなく」とあり「その主権は他の民にわたされず」と預言されています。これまさに、神ご自身によって支配される神の国なのです。

神の国は何時、どのようにして出現するのか?

「一つの石が人手によらずに山から切り出され・・・」(ダニエル書二ノ四五)。
これは、人手によらずに切り出された石に、すべてが秘められています。いったいこの石は何を意味し、また象徴しているのでしょうか。
これを解く鍵となる言葉が、パウロの書簡の中にあります。かつてエジプトの奴隷となっていたイスラエルの民は、モーセによって解放され、神のそなえられたカナンの地に向かう途中のこと、砂漠の中で水に乾いたとき、モーセが杖で岩を打つと、水が流れ出て、民はそれによって渇きをいやすことができたと聖書に記されています。この岩について、使徒パウロは「この岩はキリストにほかならない」(コリント人への第一の手紙一〇ノ四)と説明しています。
じじつ、聖書のあちこちに、岩が神またキリストを現す言葉として用いられています。この事から、夢の中の岩は、キリストによって治められる神の国を現すものであることがわかるわけです。これが転がってきて像を砕いたというのは、キリストの再臨によって、地上歴史が終りを告げ、神の支配なさる永遠の国が始まることを意味しているのです。

これは荒唐無稽な神話か?

あなたはこれをお聞きになって、どんなふうに思われたでしょうか。これは無視も否定もできない厳粛な事実と受け止められたでしょうか。それとも、空想や幻想に類する作り話として一笑に付されるでしょうか。
いったいこんな突飛なはなしを、どこのだれが信じているというのか、無知で狂信的な人間ならいざしらず、教育のあるノーマルな人間がこんなことをどうして信じることができようか、と言われるかたがあるかもしません。しかし、事実はどうか、知識人・著名人のなかにこれを信じ、未来に望みを託して生涯を終えられたかたが少なくないのです。
その一人に、世界的に著名なアイザック・ニュートンがあります。彼は科学者ですが、晩年には聖書とくにダニエル書を研究し、講解書を出版しています。その中で彼は次のように解説しています。
「ダニエルの全預言の基礎は、四つの金属からできているこの像の幻の中におかれている。これは、この地上を次々に支配すべき四つの偉大な国民のことをあらわしており、それはすなわちバビロニヤ人、ペルシャ人、ギリシャ人、ローマ人である」。
もちろん、日本人の中にも同じ信仰を持ち、同じ解釈を公表している人がいます。その一人が有名な内村鑑三氏です。氏は次のように説明しています。

「かのネブカデネザルの見たる夢において、一の大いなる石の人手によらずして山より切られて出で、鉄と陶土との混淆せる十趾に分裂して終わる。然しながら此分裂と此悪化とは来らんとする大いなる天然石の前兆である。世界の行き詰まりを嘆くことをやめよ。救いの臨まんがためには、かく有らなければならない。
次に来るものは、即ち人類の希望の実現である。聖書をそのままに信じ、キリスト再び来りて神の国を樹てたもうことを信ずる者と然らざる者との間に、一の大いなる差別がある。これを信ずる者は、少なくとも失望を知らないのである。世が我らを認めずとも失望しない。假令我一人となるとも失望しない。…キリスト再び来りたもう時に其実をむすぶのである。
故に人は解放を叫び、改造を唱うるも我らは顧みない。全世界が大いなる不安に襲わるるも我らは恐れない。我らはただ孜々として神の命じ給いしことを力むるのみ…。
預言者ダニエルは恐るべきバビロンの滅亡に遭遇するも尚その望みを来るべき神の国につないで独り泰然として立った。我らもまた然り、今より後、或いは驚くべき報知が我らに達するであろう。戦慄すべき事件が発生するであろう。然しながら我らは恐れない。之は皆救いの近づきし兆である。
故に全世界に大破壊の臨むことあるも、我らは忠実に日毎の勤務に当たりながら却ってアーメンハレルヤを叫ぶのである」。
内村鑑三氏の信仰の弟子矢内原忠雄氏も、同じ信仰に立って次のように説明しています。
「吾人は社会改革について、道徳的及び信仰問題として無関心たるを得ないけれども、社会改革の効果の限界については、明白なる認識をもたねばならない。社会改革はすべての改革の根源ではない。それによりて神の国を実現せしめうるものではない。すべての改革の根源は心の改革、魂の新生であり、神の国の実現はキリスト再臨によりてのみ実現する。
キリスト教の最大の主張は、キリストの復活と十字架による個人の魂の救いとキリストの再臨による神の国の実現とにある。然してキリストの再臨こそ、人類社会の経験すべき最大の急劇的変化最大のカタストローフ(破局、破滅、悲劇的結末)最大の革命的事件である。
その時、鉄の杖をもって審判は行われすべて神に敵する者は利鎌をもって刈りとられる。天地万物すら俄かに革新せられて天も地も海も旧態を止めざるに到る。神の意思の完全に行われる理想世界はかくして実現するのである」。

以上によって、この預言はたんなる寓話や説話のたぐいではなく、まして迷信・妄信などではないことがおわかりと思います。今日この世界の混乱を思い、社会の道義の退廃をみるにつけても、われらは恐れず、ためらわず、勇気をもって大胆にこの預言を信じ、揺るがぬ確信をもって、神の約束による新天新地、永遠の神の国を待望したいものだと思います。

要点の確認

  1. この世界は、行き止まりの状態にある。しかも後戻りできないのみか、いままさに崖っぷちに立たされている感じさえする。世人のだれもが、世界の将来に非常な不安をいだいている。いったいこの世界は、これからどうなるのであろうか。
  2. 世には自称予言者があちこちにいて、未来についての怪しげな予言をおこなっているが、確実に成就したものはほとんどない。それは当然である。人間には未来を予見する能力があたえられていないからである。
  3. しかし、人間にできないことも、神に不可能はない。なぜなら、聖書の神は、この世界を創造し、これを支配しているお方だからである。この神は世界の将来を見通し、預言者を立ててそれをわれわれに告げ知らせてくださつている。
  4. いまから二五〇〇年も前に、神はバビロンの王ネブカデネザルに、世界の将来を指し示す夢をお見せになった。彼はその夢が何を意味するものかを知りたいと思い、その道の者たちに尋ねたが、だれひとり解き明かせる者はいなかつた。
  5. だが、神の預言者ダニエルが、天の神に祈り求めた結果、彼は神から夢の解き明かしを示された。それによれば、王の見た夢は、巨像であって、それは頭が金、胸が銀、胴は青銅、脚は鉄、足先は鉄と粘土の混じったものによってできていた。この像は、地上歴史を象徴するものであった。歴史の未来を預言するこれらの象徴は、何を意味し、歴史上どんなふうに成就をみているのであろうか。
  6. 巨像の金の頭はバビロン、銀の胸はメド・ペルシア、青銅の胴はギリシア、鉄の脚はローマによってそれぞれ成就をみている。足先の鉄と粘土は、ローマ帝国の分裂を意味し、しかもこれはふたたび一つになることはないという預言である。国際連合の実態がまさにその象徴と言える。
  7. 王が、夢の中でこの像を見ていると、どこからか石が転がってきてこの像にぶつかると、像は粉々に砕け、風に吹き払われて消えてしまった。これは歴史の崩壊、世界の終末を意味する預言である。転がってきた石は、キリストの再臨によって建てられる新天新地、神の国の象徴である。
  8. 以上によって,聖書の預言はノストラダムスなどのように、異なった解釈を可能にするような曖昧模糊としたものではない。その意味するところは明確であり、その成就は的確である。この聖書の預言によって、世界の破滅は足下に近づいていることがあきらかである。
  9. しかし、それはかならずしも絶望を意味しない。そのあとに、岩によって象徴される第五の王国、神の国、新天新地の出現が預言され、約束されているからである。進化論は、社会にも適用され、人類は社会的にも無限に向上し発展するものと信じられてきた。これに対して聖書は、人類も社会も腐敗と堕落の一途をたどり、破滅することを預言している。いずれが正しかったであろうか。われらはいまこそ、聖書の神を信じ、神の約束を信頼して、キリストの再臨によって実現する永遠の平和理想世界を待望し、真剣な祈りとともに、その日のために備えたいものである。