対人関係

%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%97%e3%83%81%e3%83%a3

愛し愛される人間関係10か条

1.人間はみな同じではない。自分と違う人を受け入れよ。
2.いつも、誰に対しても紳士淑女たれ。
3.短気な言葉をかけられても同じ精神で答えるな。
4.衝動的にふるまわない。
  自分の気分を外に出してはならない。
5.あなたの上司、責任者、指導者の苦労、重荷を理解せよ。
6.感情をたやすく傷つけられるようではいけない。
7.人のことを良く言う習慣を養おう。一人一人に可能性を見よう!
8.不愉快なことを記憶せず、いつも明るく物事を見よ。
9.人との交わりにはいつも自制、忍耐、同情を。
10.礼儀作法とは他者への思いやり。              
                                                 E.G.ホワイト著「ミニストリー・オブ・ヒ-リング」より

1.人間はみな同じではない。自分と違う人を受け入れよ。

 人との接触
すべての人は同じ罪人であり、同じ罪性をもっている。 ローマ1:18-32、2:1 3:9-12
みんな異なる生涯、経験 ミニストリー467
イエスの祈り: 「父よ彼らをゆるしてください。彼らは何をしているか分からないからです」
ステパノの祈り:「ひざまずいて、大声で叫んだ、『主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい』。こう言って、彼は眠りについた」使徒7:60
主の祈り:「我らに負債ある者を我らがゆるすように我らの負債をゆるしたまえ」(マタイ6:14)
イエスは、「どの魂にも可能性をごらんになる」

「人生におけるすべての交わりには、自制と忍耐と同情を働かせなければならない。わたしたちは、性格、習慣、教育が非常に異なっているため、物事の見方も異なり、また判断も異なる。真理に対する理解や身の処し方に関する考えも、細部にわたっては同じでなく、2人の人がすべての点で同一の経験をするということはない。ある人にとって試練であることも、他の人にとってはそうではない。ある人にとっては軽易な仕事も、別の人にはもっと困難でめんどうなことがある」。

「人間の性質は実に弱く、無知であり、誤解しやすいものであるため、他人を評価する際には、注意深い態度をもってしなければならない。わたしたちは、自分の行動が、他人の体験にどのような影響を及ぼすかほとんど知らない。自分の言行は、自分ではごく小さいことのように思われても、もし、わたしたちの眼が開かれるならば、善におもむくか、悪に至るかの重大結果は、この自分たちの言行の上にかかっていることがわかるはずである」ミニストリー467

2.いつも、誰に対しても紳士淑女たれ。

「外見的な礼儀作法をどんなに用意周到に習得しても、それらは、焦燥、荒々しい批評、聞き苦しい言葉などを、すべてなくすのに十分ではない。自我が最高の地位を占めている間は、真の礼儀は決してあらわれない。真の愛が心に宿らなければならない。純粋なクリスチャンは、主に対する深い愛に基づいて行動する。キリストに対する愛の根源から、兄弟に対する無我の関心が芽生える。愛はその所有者に優雅、礼節を与え、態度を美しくする。また顔を輝かせ、声を和らげ、その人全体を上品、高尚にする」。ミニストリー475

3.短気な言葉をかけられても同じ精神で答えるな。

「短気な言葉をかけられても、決して同じ精神で答えてはならない。「柔らかい答は憤りをとどめ」ることを覚えなさい(箴言 15:1 )。
沈黙には驚くほどの力がある。おこっている人に答える言葉が、ますますその人をおこらせることがあるが、やさしい忍耐の精神をもって沈黙を守れば、たちまち消えてしまう」。ミニストリー470

4.衝動的にふるまわない。
  自分の気分を外に出してはならない。

「たとえ心が軽く愉快でなくても、その気分を外に表してはならない。
他人の生活に陰を与えぬようにしなさい。冷たい、暗い宗教は、決して人をキリストに引き付けない。かえってキリストから追い払い、迷う者の足をとらえるために、サタンがひろげている網の中へ追い込んでしまう。自分の失望について考えないで、キリストの名によって要求することができる力を考えなさい。目に見えないものを想像力で把握し、あなたを愛しておられる神の大きな愛の証拠に思いを向けなさい。信仰は、試練に耐え、誘惑に抵抗し、失望に会っても、それに耐えることができる」。ミニストリー472

5.あなたの上司、責任者、指導者の苦労、重荷を理解せよ。

「多くの責任者の働きが理解されず、その骨折りも、死ぬまで価値が認められないものである。そして、その人の重荷を他の人が取りあげ、かつてその人が遭遇していた困難に会ってみて初めて、どんなにその人が信仰と勇気を試みられたかということを理解できる。かつてはたやすく非難したはずの失敗が、目につかなくなることがよくある。体験は同情を教える。神は人間を責任ある地位に立たせ、失敗があった時にはそれを正し、またはその地位から除く力を持っておられる。わたしたちは、神に属するさばきのわざを、人間が行わないように注意しなければならない」。 ミニストリー468

6.感情をたやすく傷つけられるようではいけない。

「感情をたやすく害してはならない。わたしたちは自分の気持ちや名声を守るために生きているのではなく、人を救うために生きなければならない。人を救うことに熱心になれば、相互の間によく起こるわずかな意見の相違に気を留めなくなる。他人が自分のことをどんなに思い、自分に対してどのようにふるまっても、そのためにキリストと自分との結合、聖霊との交わりを妨げる必要はない」。ミニストリー469

7.人のことを良く言う習慣を養おう。
一人一人に可能性を見よう!

「人のことを良く言う習慣を養成しなさい。交わっている友人のよい特質に留意し、その過失や欠点はできるかぎり見ないようにし、だれかの言行を悪く言いたくなったら、その人の生活や品性のどこかをほめなさい。感謝の心を養い、わたしたちのためにキリストを与え、死にわたされた神の驚くばかりの愛について神を賛美なさい。人に対する不平について考えても決して得るところはない。神は、わたしたちが賛美によって鼓舞されるように、神の恵みと比類のない愛について考えよと勧めておられる」。ミニストリー477

ピリピ4:8
最後に、兄弟たちよ。
1.すべて真実なこと、
2.すべて尊ぶべきこと(すべて気高いこと=新改訳、〈上品な=抄訳〉)、
3.すべて正しいこと、
4.すべて純真なこと、
5.すべて愛すべきこと、
6.すべてほまれあること(評判の良いこと)、
7.また徳といわれるもの、
8.称賛に値するものがあれば、
それらのものを心にとめなさい。

「熱心な働き人は、他人の欠陥に留意する余裕がない。わたしたちは、他人のあやまちや短所のようなかすを食べて生きているわけにはいかない。悪口には二重の災があって、聞く者よりも語る者に害を及ぼすことが大きい。不和や争いの種をまき散らす人は、自分の心にその恐ろしい実を刈りとる。
他人の中に悪をさがす行為そのものが、そうする人の中に悪を育てあげる。他人の短所に心をとめることによって、それと同じ姿に変化していく。しかし、イエスをながめ、その愛と完全な品性について語る時、わたしたちもそのみ形に変り、イエスがわたしたちの前に示された高い理想を思い、考えることによって純潔な聖なる雰囲気にまで向上し、神のみ前に至ることができる。こうした境地に住む時、わたしたちから光がでて、接するあらゆる人に反映して行くのである」。ミニストリー477

8.不愉快なことを記憶せず、いつも明るく物事を見よ。

探し上手になろう!
よく探せば:
どんなイヤナ人間にも愛すべきところがある。
どんなつらい場にも喜ぶべきことはある。
どんな出来事の中にも感謝する材料はある。

9.人との交わりにはいつも自制、忍耐、同情を。

「矛盾のない生活、忍耐強さ、挑発されても腹を立てない精神は、いつも明確な証しであり、最も厳粛に人々に呼びかける声である。封蝋(ふうろう)の上に明瞭な、強い印を押すためには、決して乱暴に大急ぎで押さず、注意深く印を蝋ろうの上に置き、固まるまで静かに動かぬように押しつける)。ミニストリー480

%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%97%e3%83%81%e3%83%a32 %e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%97%e3%83%81%e3%83%a33 %e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%97%e3%83%81%e3%83%a34
イエス・キリストを眺める続けるときに、暗い、消極的な気質は消滅していく。
覚えよう:みんな生まれながら罪人であることを!

%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%97%e3%83%81%e3%83%a35
自転車のスポークのように、
やがて一致するようになり、
イエスの祈りが答えられるであろう。
%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%97%e3%83%81%e3%83%a36ヨハネ17章

「真理のよって聖別」
「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになる」
「使徒たちは習慣気質もまったくちがっていた。取税人のレビ・マタイと、ローマの権威を徹底的に憎んでいた激しい熱心党のシモンがいたし、気前がよくて直情的なペテロと、卑劣な精神の持ち主ユダがいたし、まごころはあるが内気で心配性のトマスと、心の動きがにぶくて疑い深いピリポ、また野心的で率直なゼベダイの子たちがその兄弟たちとともにいた。この人たちは、いろいろな欠点と、みな先天的後天的な悪への傾向を持ったまま集められた。
しかしキリストのうちにあって、またキリストを通して、彼らは、神の家族のうちに住み、信仰において、教理において、精神において一つとなることを学ぶのであった。彼らは、試練も、苦情も、意見の相違もあったが、しかしキリストが彼らの心に住んでおられるかぎり、不和があるはずはなかった。キリストの愛がお互いの愛となり、主の教訓がすべての不和を一致へみちびき、弟子たちは一体となって、ついには一つの心、一つの意見となるのであった。キリストが大中心であり、彼らはその中心に近づくにしたがって、お互いに接近するのであった」。各時代の希望上382

10.礼儀作法とは他者への思いやり。

各個人の可能性を見よう!
「神は自らおつくりになった小さい種をながめ、その中に美しい花、潅木、または高くそびえる枝をひろげている木が包蔵されているのをご覧になるが、それと同じように各個人のうちに可能性を見られるのである。わたしたちはある一つの目的のためにこの地上に居るのであって、神はわたしたちの生涯のために計画を与え、わたしたちが最高の発育を遂げるように望まれている」。ミニストリー・オブ・ヒーリング367

ひとりびとりの人間の中に、キリストは無限の可能性をみとめられた。キリストは人類を、ご自分の恩恵によって「われらの主なる神のうるわしさ」に、生まれ変わらせ得る者としてごらんになった。希望をもって人々をごらんになったキリストは、その希望を人々の心に吹きこまれた。信頼をもって人々にお接しになったキリストは、人々の心に信頼を吹き込まれた。キリストは、人としての真の理想を自らのうちに表わし、その理想に到達し得るとの希望と信仰を、人々の心にめざめさせられた。キリストの前にあっては、人々からさげすまれ、堕落した魂も自分がやはり人間であることをみとめ、彼らは、キリストの御目にとまる価値のある者でありたいと熱望した。神聖な事がらに対しては、全然無感覚になってしまっているような心の中にも、新しい感動が芽ばえた。絶望に陥っている多くの人々の目の前には新しい生活の可能性が開かれた」。教育80