女性按手礼は聖書的か?(日本語吹き替え)

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女性按手礼は、 聖書的か?

現在セブンスデー・アドベンチスト教会は、その150年の歴史における、一致と使命の最大危機に直面するという重大な岐路にさしかかっているようである。この危機は、単なる女性牧師の問題ではなく、聖書をどのように解釈し従っていくかといった問題なのである。才能があって敬虔な女性がなぜ牧師の按手礼を受けられないのか、思慮のあるクリスチャンが疑問に思ったとしても不思議ではない。マスコミが宗教をばかにし、同性婚を祝うような文化においては、性の区別と聖書の権威がうやむやにされていても、驚くには及ばない。

もしある女性が按手を受けた牧師に召されていると感じた場合、どうして教会がその道を阻んでよいだろうか。聖書の権威と神からの前例がなければ、女性が牧師として按手を受けることを妨げるもっともな理由はない。同じ根拠で、週の第七日目を聖日として守るべき理由もなくなる。

しかし、聖書の真理の歴史的擁護者として、セブンスデー・アドベンチストは、創造、中絶、同性愛または女性按手礼といった問題に関する教理的立場を、文化によって左右されてはいけない。人類史上6000年にして、あるクリスチャンたちは、これらの領域における神のご計画を変えようとしている。では、ここで質問。女性を霊的指導者に立てることは聖書的だろうか。男性を霊的指導者に立てることに関する聖書的根拠をいくつかあげてみる。

  1. 最初にアダムが、地のちりから形づくられた。アダムは園の管理者、動物たちや妻の名付け親であったと、創世記にはっきり記されている。
  2. アダムとエバが罪を犯した後、最初に罪を犯したのはエバであったにもかかわらず、神はアダムに罪の責任があるとした。ゆえにイエスは、アダムが不服従によってサタンに明け渡した主権と地位を取り戻すために、第二のアダムとして来られたのであった。
  3. 聖書によると、男性だけがいけにえをささげ、祭司の務めに召されている。
  4. イスラエル十二部族の父祖は、全員男性であった。
  5. イスラエル全体が祭司の国と呼ばれたが、男性だけが過越しの小羊をささげ、祭司職に任命された。
  6. 神の指示の下、モーセによって荒野で任命された十二人の指導者は、全員男性であった。
  7. モーセによって任命された七十人の長老は、全員男性であった。
  8. 神がイスラエルとユダの王に選ばれたのは、全員男性であった。
  9. 家父長制度の祝福は、すべて父親から息子へと継承されていった。
  10. 旧新約聖書のどちらも、男性の血統を通じてイエスの家系をたどっている。
  11. 聖書には、七例の奇跡的出産が記録されており、これらのキリストを予表している赤ん坊は皆男の子であった。
  12. 女性も救いのよきおとずれにあずかることをイエスは望まれたが、使徒として仕えるように召されたのは、男性だけであった。
  13. 男性も女性もバプテスマを受けたが、バプテスマを授けたのは男性だけであった。
  14. 初代キリスト教会で選ばれた七人の執事は、全員男性であった。
  15. キリストにあっては男も女もないと言ったパウロであったが、男性だけに按手礼をほどこした。

アダムを造り、堕落前の完全な世界において男性を霊的指導者に立てたのはキリストであった。これは、神の取り決めが永続的なものであることを示している。創世記に見られる基本原則のいかなる妥協も、日曜遵守、同性婚、進化論などへの妥協へと道を備えることになる。指導者の地位をめぐる最初の論争は、天で始まった。ルシファーが、神格における神の取り決めに疑問を呈したのであった。キリストの地位にルシファーは反感を持ち、ついに拒絶した。このために、全宇宙がこの問題をめぐっての危機的論争に巻き込まれたのであった。

創造の時に、エバはアダムと同等の地位を与えられたのか?答えが否であるとするなら、それは永久に変えられるべきではない。この秩序を変えようとするいかなる試みも、キリストと同等の地位をつかもうとしたルシファーの試みに類似する。神はアダムを霊的指導者として立てられた。そして後世にも、創造時と同様の秩序が守られていった。祭司職、王位、使徒職、長老職のどれも男性だけが任じられた。イエスは、男女同等の祭司職を制定なさらなかったし、ご自分の新しい教会に女性使徒職を導入なさらなかった。犠牲制度とそれに付随するものがことごとく廃止された後も、イエスは教会の指導者の地位に、なおも男性を置かれた。興味深い点である。

イエスが女性使徒職を制定し、霊的イスラエルに女性の指導者を立てておられたなら、今日、女性按手礼に疑問を呈する者は誰もいないだろう。使徒パウロは、「キリストにあっては、男も女もない」と述べた。もしもこれが、女性も霊的指導者に任じられるべきであるという意味であるなら、創造の時からずっとそうであるべきである。しかし、聖書はその原則を示しているだろうか。使徒パウロは、コリント人への第一の手紙11章3節のなかで、神のこの計画の正当性を再確認している。

「しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。」

教会において、牧師の按手礼を受けた者は、霊的指導者の地位に移行することになる。もしも女性に按手礼をほどこしたら、女性の霊的指導者が立てられることになる。イエスは、このような権威を何人(なんぴと)にも与えておられない。従って、神がその権威によって明らかに承認しておられない事柄を承認しようとして、世界教会(総会)が意図的に支持し可決するというのは、全く理にかなっていないのである。ある人たちは、第三の道または妥協案をあおっている。それは、女性按手礼に関して、各支部が独自に決定できるというものである。彼らは妥協の道を求めている。なぜなら、世界教会の大多数の教会員が、男性按手礼という歴史的立場を支持するであろうことを知っているからである。

しかしこのような妥協は、聖書の権威とキリストの体における共同使命を犠牲にしてのみ達成可能なのである。

ルーテル教会、メソジスト、聖公会、長老教会といった主要な教派が、女性按手礼にまつわる神学体系を変えた結果、内部分裂と教会員の減少を招いたことは、特筆すべき点であろう。さらに、現在同性愛者を聖職者に任じているすべての教派は、女性牧師を任ずることから始まった。女性按手礼を正当化するための聖書解釈法は、同性愛を是認するためにも用いられるのである。

すでに、多くの例を挙げることができる。女性按手礼を支持しない牧師たちは、新神学を奨励している支部や教区において、蚊帳の外へと追いやられている。一般的に、女性按手礼を推進している支部は裕福であるが、伝道は沈滞している。伝道が最も進展している貧しい国々では、女性按手礼にまつわる聖書的立場の変更を支持してない。「第三の道」が教会を経済的な線上で分割し、女性按手礼に同調しない貧しい支部への援助は妨げられるかもしれない。そうなると、世界教会は支部ごとにバラバラになって、キリスト御自ら打ち立てられた、統一された聖書的手本とはなり得ないであろう。

地球歴史の最終局面が間近に迫っている今、教会は分裂するのではなく、これまで以上に一致する必要がある。文化に左右されるのではなく、聖書に基づいているべきである。

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